訪問日:2013年1月12日
自宅から印旛沼まで、片道約30Kmの適度な距離のサイクリングを楽しむことが多い。 いつもは印旛沼で折り返すが、少し足を伸ばして佐倉市内を回ってみた。
佐倉市は11万石の佐倉藩として栄えた城下町である。 江戸時代には三重櫓を持つ佐倉城があったが、明治時代に取り壊され,、陸軍佐倉連隊の駐屯地となった。 現在は城址公園として整備され、土塁や空濠などを見ることができる。 また公園の中心部には国立歴史民俗博物館(通称「歴博」)が建つ。
幕末の藩主は幕府の老中を務めた堀田正睦で、初の日本総領事となったハリスを相手に日米通商条約締結に向けて奔走した。 しかし朝廷から勅許獲得に失敗して、辞職したそうである。 この堀田正睦は蘭学を奨励してオランダ医学の治療と同時に、医療教育を行う佐倉順天堂を開設させるなど、進取の気風を持った藩主であったことが伺える。
現在の佐倉市内は、昔ながらのたたずまいを残す商家だけではなく、武家屋敷なども残されて公開されている。
蘭学通り沿いの建物
佐倉市内の中心部を東西に走る蘭学通りには、出桁造り(だしけたづくり)と呼ばれる古い町屋が点在する。
出桁造りとは、軒が前面に大きく張り出した造りで、江戸・明治・大正時代を経て関東大震災に至るまでの、一般的な商家(店舗兼住宅)建築を指すそうである。 庇の深い立派な軒が機能的な装飾となり、商家の格をも示したと云われるとのこと。
最後の桜藩主邸宅
市内には佐倉藩の第6代で最後の藩主となった、堀田正倫の邸宅や庭園が残る。 明治23年(1890)に建てられ、現在は国指定重要文化財である。
【旧堀田家住宅】
主屋や門番所、土蔵などの建物と庭園が残る。
現存する明治期の旧大名家邸宅として貴重なものだそうである。
【客 座 敷】
玄関、書斎、座敷、台所の各棟と2階の居間があるが、2階は非公開。
全体的にきらびやかさは無いが、質素な美しさをかもしだしている。
武家屋敷通りと武士の通勤路
鏑木小路とも呼ばれる通りに面し、5棟の武家屋敷が集まっている。 その中の3棟が公開されている。
【雰囲気残す通り】
通りの両側には土塁や生け垣が築かれ、往時を忍ばせる雰囲気を持っている。
※以下の写真は2013年9月28日再訪時の写真
【くらやみ坂】
武家屋敷通りに並ぶ旧河原家と旧但馬家住宅の間に、細い坂道が下っている。
鬱蒼と茂る木々で覆われ、街灯の無い昔は本当に真っ暗闇だったのであろう。
【サムライの古径 ひよどり坂】
武家屋敷通り西側の奥まった所に「ひよどり坂」がある。
武家屋敷の武士達が佐倉城へ登城する、今風に言えば通勤路だったらしい。
このひよどり坂やくらやみ坂は、夜には辻斬りでも出てきそうな場所である。
現代でも、夜に一人歩きするには相当な勇気が必要であろう。
身分の違いが判る武家屋敷
佐倉藩では、天保4年(1833年)に「天保の御制」なる定めを作り、武士の禄高により住宅基準を設けたようである。 武家屋敷通りに並ぶ3棟の屋敷は、この住宅基準に沿って建てられ、旧河原家住宅が大屋敷、旧但馬家住宅が中屋敷、そして旧武居家住宅が小屋敷に相当するそうである。