昔、市内を流れる海老川に船を並べ、その上に板を敷いて橋の代わりにしたことが、船橋という名の由来だそうである。 現在は本町通りにかかる海老川橋(長寿の橋)の欄干に、地名発祥の地と刻まれている。
この船橋は、徳川家康が東金に鷹狩りに行くために作った御成街道(現東金街道)や、成田詣での為の成田街道など交通の要所として栄え、江戸後期には宿場町として30軒ほどの宿があったそうである。 現在は、東京駅から総武線快速で約30分。 ベッドタウンという言葉は古いかもしれないが、JRから京成や東武などの私鉄に乗り換える客でごった返す街である。
残された昔ながらの店
船橋駅南口に出て駅前通りを南に向かい、本町通りの交差点を左折して本町通りに入る。 しばらく歩くと左右に向き合うように2軒の古い町屋が現れる。 歴史は古い街だが、その歴史を感じさせてくれる建造物は少ないので、貴重な建物である。
【廣瀬直船堂】
屋根に「廣瀬直船堂」の立派な看板がかかる和菓子屋さん。
大正7年築の木造2階建切妻造りで、軒先を大きく張り出した出桁造りである。
【森田呉服店】
「廣瀬直船堂」の向かいに建ち、創業140年だそうである。
廣瀬直船堂と共に立派な店構えを残すが、この様な店は少なく残念である。
裏道に残る染物店
本町通りの一本裏手の細い道から少し奥まった所に、良い雰囲気を持つ店が一軒残る。 創業して既に160年以上を経る老舗の染物屋である。
【つるや伊藤染物店】
安政元年(1854年)創業で、染物やお祭り用品などを扱っている。
店の屋根には行燈が設置されている。
軒先提灯ではなく、屋根灯りとでも呼ぶのであろうか?
屋根上の行燈には、歌舞伎の隈取を行ったような顔が描かれている。
夜になると、実際に灯りがともるのであろう。
日本で一番小さな東照宮
つるや伊藤染物店の近くに、船橋御殿跡という史跡が残されている。 史跡と言っても、跡地を示す説明版のみである。 説明版によると、船橋御殿は徳川家康が東金まで鷹狩りに行く際の休憩所、あるいは宿泊施設であった。 その後1670年代に船橋御殿は閉鎖され、その跡地に東照宮が建てられたとのこと。
【船橋御殿跡に建つ東照宮】
日本で一番小さな東照宮だそうだが、訪れる人も少ないようである。
船橋大神宮と灯明台
本町通りをさらに東に進み、海老川を越えた先に、小高い森が現れる。 船橋大神宮である。 この大神宮という名称は通称で、正式名は意富比神社(おおひじんじゃ)。 西暦110年に、日本武尊が東征の折に祈願したのが始まりと、由来に記されている。
【由緒ある神社】
由来によると、日本武尊が東国御征討の途中、天照皇大神を奉祀して創建。
平安時代に編纂された延喜式には、「意富比神社」と記載されているそうだ。
【灯明台】
明治13年から28年まで灯台として使われ、東京湾最古のものだそうである。
石油ランプ3個を反射鏡で反射し、10Km先まで光が届いたという。
現在はこの大神宮から海などは全く見えない。
京葉道路や船橋ららぽーとを越え、1キロ以上先に船橋の港が広がる。
船橋市内を流れる海老川の河口には漁港が広がり、スズキの水揚げは日本一だそうだ。 東京駅から総武線快速で約30分という近さであるにも関わらず、本格的な漁港風景を眺めることができるのも面白い地である。