市ヶ谷を出て四谷門を目指す。 JR市ヶ谷駅前から200mほどオフィスなどが建ち並ぶ道を行くと、再び外堀の土塁が現れる。 しかし土塁から見下ろす外堀は、途中から埋め立てられてグラウンドへと姿を変えている。
四ツ谷門から四谷大木戸(現在の四谷4丁目交差点付近)へ続く道は、甲州街道、青梅街道に繋がり、甲信地方との往来や、近郊農村からの薪炭や野菜などの生活物資を運ぶ幹線道路であった。 また甲州街道を西から来る敵を防ぐ、防衛拠点としての一面を持っていたという。
四谷門に向けて土塁上を歩く
市ヶ谷駅から四谷に向け、オフィス街のような部分を歩く部分もあるが、基本的に外堀沿いに続く土塁上を歩くことができる。
松の木の利用価値
土塁上には桜の木が植えられているが、斜面には松の木が多い。 松の甘皮を剥がし、粉にすると食用になるそうである。 籠城して兵糧攻めにあった時の代用食や、燃料、建築資材として、当時の築城時には松を植えたそうだ。
四谷門
現在の四谷には、四谷見附橋が2本架かっている。 一つは新宿通りが走る大きな橋で、交通量も多いメインの橋である。 しかしこれは新しい橋で、JR四ツ谷駅の裏側(市ヶ谷側)に架かる、細い橋が本来の橋である。
四谷門の位置
「現在地」と記された道は、四ツ谷駅裏手の市ヶ谷寄りにある細い橋である。 駅前の主婦会館前の小さな広場にも、四谷門の枡形位置を示す案内板がある。
櫓台跡
市ヶ谷からの土塁は四ツ谷駅手前で終り、四ツ谷駅の麹町側に出る。 ここに石垣が残り、駅前一帯から向かいの主婦会館の前あたりまでが四谷門の枡形であった。
お濠側から四谷門があった場所を眺める。 この石垣から、右手にある四谷の駅くらいまで門があったと思われる。
新しい四谷見附橋
新宿通りが通る四谷見附橋は大正2年に架設され、現在の橋は平成3年に架けかえられた。 東宮御所(現迎賓館)が近いので、橋の欄干やガス灯などのデザインも凝った橋となっている。
現在の四谷見附橋
大正2年に新たな四谷見附橋が架けられ、更に平成3年に掛け替えたものである。
明治・大正の遺構が残る
橋は平成に新たに掛け替えられたが、赤レンガの土台部分は大正時代に架けた橋の遺構かと思われる。 地上に出た地下鉄丸ノ内線の四谷駅にも、明治時代の甲武鉄道の御所トンネルが現役で活躍している。
真田堀
四谷駅から新宿側の外堀は埋め立てられ、上智大学の真田堀グラウンドとして利用されている。 終戦直後、真田堀は瓦礫が投棄されて埋まってしまった。 そこで上智大学が費用を出して埋め立てを行い、東京都から20年間無償貸与を受けたそうだ。 無償貸与期間が過ぎた現在は、都と有料の借地契約をしているらしい。
真田堀
信州の真田藩が普請を請け負ったことから真田堀の名がついた。 地下鉄丸ノ内線のホームから見ると、明らかに堀を埋め立てたことが判る。
地上に出た丸ノ内線は、地下鉄なのにJRの駅の上に四ツ谷駅のホームがある。 同じ丸ノ内線の後楽園や、銀座線の渋谷駅なども、トンネルを抜けると、いきなり地上4階ぐらいの高さで地上に現れる。 東京は平坦なようで、結構複雑な地形をしている。 この複雑な地形の為せる技であろう。