のんびり中山道

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信 濃(信州)

中山道 第29宿 下諏訪宿 和田峠を越える(1)

和田宿から和田峠の上り口までを歩き、その日は長久保宿に宿泊。翌日和田峠を超える計画である。和田宿から下諏訪宿まで22Kmほどあるが、この計画だと少し短くて済む。天候に恵まれ、満開のニセアカシアとハルゼミの鳴き声を聞きながらのんびり歩く。
信 濃(信州)

中山道 第28宿 和田宿 難所の和田峠を控えた宿場

和田宿と隣の下諏訪宿の間には、中山道の最高地点にして最大の難所といわれた和田峠(約1,600m)がある。冬は寒さと積雪で旅人は難渋し、旅人はもちろん、参勤交代の大名も必ず宿泊した。現在も出格子造りの家が残る、静かな宿場の面影を残している。
信 濃(信州)

中山道 第27宿 長久保宿 真田幸村の娘が嫁ぐ

真田幸村(信繁)の長女すへは、長久保宿本陣を務めた石合家の「石合十蔵道定」のもとへ嫁いだ。そして大阪夏の陣の3カ月前に、真田幸村は石合十蔵宛てに「ふつつかな娘だがよろしく」というような書状を書いている。現在もこの石合家は残っている。
雑学 中山道

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その3

京都を出発して25日目の文久元年(1861)11月15日、皇女和宮降嫁の大行列は、無事に江戸の清水御殿に到着した。 こうして中山道沿道の村々を巻き込んだ、和宮狂騒曲は幕を閉じた。 普通のドラマであれば、ここで大団円を迎え、すべてがめでた...
雑学 中山道

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その2

万延元年(1860)、皇女和宮の輿入れが決定。 婚姻相手は徳川14代将軍家茂(いえもち)である。 そして幕府によって、その準備が一斉に始められた。 翌 文久元年10月、和宮一行は中山道を下ることになるが、この中山道沿いの宿場などに幕府よ...
雑学 中山道

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その1

文久元年(1861)10月20日、沿道で行列をすべて見送るには丸四日を要したといわれる、超巨大な大行列が京都から江戸に向けて旅立った。 行列の中心人物は「和宮親子(ちかこ)内親王」。 徳川14代将軍家茂(いえもち)に嫁ぐための花嫁行列で...
信 濃(信州)

中山道 第26宿 芦田宿 蛇の足跡が残る「蛇石様」

笠松峠を控え、これから越える旅人、越えた旅人たちの休憩場所として栄え、皇女和宮もこの宿場で昼食をとっている。「蛇石様」と呼ばれる大きな石が残り、表面には蛇の通った跡といわれる筋が残る。蛇は好きではない。恐ろしや・・・
信 濃(信州)

中山道 間の宿 茂田井 白壁土蔵と酒林の静かな街道

望月宿手前の百沢集落の風景とは異なるが、白壁土蔵が続く茂田井の集落は、映画「たそがれ清兵衛」のロケ地にもなり、まるで江戸時代にタイムスリップしたような静かな時が流れている。白壁の土蔵は、武重本家酒造や大澤酒造など、杉玉を下げた造り酒屋である。
信 濃(信州)

中山道 第25宿 望月宿 瓜生坂と懸造りの弁財天

僅か200mほどの距離だが、旧街道の雰囲気を色濃く残した百沢集落を抜け、瓜生坂に向けて金山坂を上る。草付きの急坂である瓜生坂を下り、鹿曲川に出ると望月宿へ到着である。望月宿は意匠を凝らした出桁造りの家など、趣のある街並みであった。
信 濃(信州)

中山道 第24宿 八幡宿 重要文化財を持つ八幡神社

宿名の由来となった八幡神社が、宿場の入口に鎮座している。現在の八幡塾は宿場時代の面影は少なく、ひなびた街道という印象である。しかしこの立派な神社をみると、塩名田宿と同様に千曲川を渡る旅人などで賑わった様子が眼に浮かぶ。
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