のんびり中山道

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上 野(上州)

中山道 第14宿 板鼻宿 達磨寺で高崎だるまを買う

板鼻宿は、中山道上州七宿の中で最大級の宿場で、飯盛り女を抱えた旅篭が54軒もあって繁盛した。しかし今はその面影は少ない。高崎宿からの途中にある、”高崎だるま”で有名な達磨寺へ寄道。お土産の達磨に、命を吹き込むお経を唱えてもらった。
上 野(上州)

中山道 第13宿 高崎宿 本陣も脇本陣もなかった宿場

中山道と三国街道との分岐点でもあり、交通の要衝として栄えた高崎宿。しかし井伊直政が築いた高崎城の城下町でもあったので、参勤交代の諸大名たちは宿泊を敬遠したようで、本陣も脇本陣も設けられなかった。
上 野(上州)

中山道 第12宿 倉賀野宿 日光例幣使街道との追分

倉賀野宿は、日光に向かう例幣使街道との分岐点である。例幣使とは、朝廷が日光東照宮に「幣帛」を毎年奉納するために遣わした使節である。「強請(ゆすり」という言葉があるが、これは例幣使が駕籠をゆさぶり、担ぎ手に袖の下を求めたことが語源という。
上 野(上州)

中山道 第11宿 新町宿 滝川一益と神流川古戦場跡

神流川を渡って群馬県に入ると、秩父や遠く浅間山、妙義山などの山々が近づいてくる。埼玉と群馬の境を流れる神流川は、織田信長四天王の一人・滝川一益と北条氏直が激突した戦場跡で、敗れた滝川一益は清州会議にも遅れ、織田家での地位は失墜した。
武 蔵(武州)

中山道 第10宿 本庄宿 中山道最大規模の宿場

武蔵国最期の宿場であった本庄宿は利根川の水運で栄え、中山道大規模を誇った宿場である。現在は上越新幹線の本荘早稲田駅があるが、駅前は緑豊かで閑散とし、この駅に停車する新幹線に乗ると「しまった!」と思ってしまう。
武 蔵(武州)

中山道 第9宿 深谷宿 渋沢栄一と赤レンガ

深谷といえば「深谷ネギ」だと思っていたが、実はレンガの街だそうだ。明治期の渋沢栄一が設立した日本煉瓦製造で造られたレンガが、東京駅や多くの近代建築に使われたそうだ。そのため、JR深谷駅も「東京駅風」の外観を持っている。
武 蔵(武州)

中山道 第8宿 熊谷宿 熊谷次郎直実の出身地

源平合戦の一の谷の戦いで、17歳の平敦盛を討ち取った熊谷次郎直実の出身地で、熊谷寺には直実の墓所がある。また市内の八木橋百貨店は旧中山道の上に建てられた。したがって現代の旅人は、百貨店の中を通って旅をするという変わった経験をすることができる。
武 蔵(武州)

中山道 第7宿 鴻巣宿 雛人形のふるさと

鴻巣宿は江戸時代から人形造りが盛んで、「鴻巣雛」とも呼ばれる伝統工芸品だそうだ。今でも人形店の管板を目につく。また街道沿いの勝願寺では、気丈な女性として多くの逸話が残る、真田信之(幸村の兄)の正室・小松姫のお墓をみることもできる。
武 蔵(武州)

中山道 第6宿 桶川宿 かつて紅花で栄えた街

桶川宿に入ると、ようやく街道の雰囲気を残す街並みが現れる。かつての桶川は紅花の栽培が盛んで、「紅花宿」とも呼ばれ、山形に次ぐ全国で2番目の生産量を誇っていたという。しかし明治期に入ると、化学染料の発達で衰退してしまった。
武 蔵(武州)

中山道 第5宿 上尾宿 屋根の上の鐘馗様

上尾宿に入ると、鐘馗様を屋根の上に飾る家を何軒か見ることができる。京都の町に多く見られるが、鐘馗様は鬼より強いので、向かいの家の鬼瓦に跳ね返された悪いものを、さらに跳ね返す力があるそうだ。街道歩きで鐘馗様を見つけると、何となく嬉しくなる。
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