浅草橋門から外堀沿いにスタートした三十六見附の歩き旅は、この雉子橋門が外堀の最後である。
一ツ橋から日本橋川に沿って歩くが、左手頭上は首都高速都心環状線、右手は同じく首都高速の竹橋インターの出口で、首都高速に囲まれて歩くような感じである。
江戸城外堀の石垣を眺めながら歩く
一ツ橋から日本橋川沿いに歩く。 川面には首都高速の橋脚が立ち並び、左右を高速に囲まれたような道を進む。 この間はオフィスも無いので、歩道を歩く人は少ない。
外堀の石垣が続く
歩道から対岸を眺めると、江戸城外堀の石垣が、一部コンクリートで補強などされているが、当時の姿で続く。
写真のオリジナルサイズで石垣表面をよく見ると、丸や四角などの刻印らしいものが多くみられる。
石垣の最も雉子橋寄りは、算木積の隅石が残っている。
雉子橋
日本橋川の最上流にある雉子橋門は、内堀と外堀が最も接近する場所にあった。 往時の雉子橋門は、現在の雉子橋より100メートルほど西にあった。 現在は首都高速の竹橋ジャンクションに覆われ、なんとなく暗く、地味な橋である。
現在の雉子橋
雉子橋門の渡櫓は明治6年(1873)に撤去され、その後明治36年(1903)に鉄橋に架け替えられたが、関東大震災で被災。 大正14年に現在の橋に架け替えられた。
重量感ある親柱の横には、千代田区教育委員会による雉子橋の説明版が立つ。
橋を渡って振り返ってみる。 親柱はあまり手入れされていないようである。
徳川家康が朝鮮からの使節を饗応するために、雉子を飼った小屋がこの辺りにあったので、雉子橋という名が付いたそうだ。 また、ここは内堀と外堀が極めて接近していた場所でもあり、厳しい警備がなされていたという。
雉子橋門の櫓台跡? どうも違うようである
雉子橋を渡り、少し先のビルの横に大きな石垣がある。 雉子橋門の櫓台跡かなと思ったが、説明版も何もない。 雉子橋門の実際の位置とも異なるし、石の積み方が下手であまり美しくない。 本物の外堀石垣の石だと思うが、どうも積み直したようである。
江戸切絵図で見る
内堀に平川門と竹橋門、外堀に一ツ橋門と雉子橋門と、門が集中している。
雉子橋で日本橋川 つまり外堀と別れ、いよいよ内堀に向かう。 内堀沿いには、立派な石垣と渡櫓を持つ門がいくつも残っているので、これからが江戸城三十六見附巡りのお楽しみである。