旅行日:2022年11月12日
仏像というと京都や奈良を思い浮かべるが、湖北地方と呼ばれる琵琶湖北側の名も知らない町に、仏像の最高傑作とか、日本一美しいといわれる仏像がある。 渡岸寺の国宝十一面観音像である。
作家井上靖が東洋のビーナスと称え、仏像彫刻の最高傑作とも言われている美しい仏像である。
午前中に彦根城を訪れた後、北陸本線で長浜市の高月駅へ移動して渡岸寺を訪れた。
のどかな高月町
JR北陸本線の高月駅で下車する。 駅前から高月の集落の中を、のんびり歩いて渡岸寺に向かう。
用水路が流れ、明るく伸びやかな印象を受ける集落である。
向源寺? それとも渡岸寺?
一般的に”渡岸寺の十一面観音像”と呼ばれるが、「渡岸寺(向源寺)」と書かれている場合も多い。 地図で見ると隣り合うように渡岸寺と向源寺がある。
調べると「渡岸寺地区にある向源寺の観音堂に祀られている十一面観音像」ということで、「渡岸寺」は集落の名前だそうだ。 確かに向源寺の下に”高月町渡岸寺 ”と出ている。 そのため「渡岸寺の十一面観音」と地名で呼ばれ、「渡岸寺」というお寺は無いことが判明した。 う~ん 紛らわしい・・・
ちなみに「渡岸寺」の読みは、”とがんじ”ではなく、”どうがんじ”だそうだ。
渡岸寺観音堂
駅から5分ほど歩くと、渡岸寺観音堂の入口に立つ仁王門が出迎えてくれる。
境内は紅葉に彩られ、秋空に映えるケヤキやモミジのグラデーションが見事であった。
御尊像埋伏之地
この地は戦国大名・浅井長政の領地で、織田信長との戦いで戦火に見舞われ、住民たちは観音像を守るため、地中に埋蔵して難を逃れたという伝承が残る。
境内には埋蔵していた場所を示す石碑が立っている。
渡岸寺観音堂
境内の先に本堂が立つが、この本堂から廊下伝いに向かって左側にある観音堂に十一面観音像は祀られている。
国宝 十一面観音像
観音堂に入ると、美しい姿で十一面観音像が立っていた。 ガラスケースに入っていないので、間近に拝観することができる。 また正面からだけでなく後ろにも回れるようになっていた。
9世紀、平安時代の作といわれ、少し腰をひねった立ち姿は美しく、気品があり、バランスのとれた少しふっくらとした体つき。 目を薄っすらと閉じ、すべての人を包み込むような慈悲深い顔立ちをしている。
頭頂部にある十一面の小面も、表情豊かに丁寧に彫られ、背面には大きく口を開いて笑う「暴悪大笑面(ぼうあくだいしょうめん)」の像が配されている。
もちろん写真撮影禁止なので、下の写真はネット上にあるものを借用させて頂いた。
私にとって2度目のご対面である。 最初は2006年に上野の東京国立博物館で開催された特別展「仏像(一木にこめられた祈り)」であった。
しかしこの時は多くの人が集まり、列をなしての見学だったので、あまりゆっくりと見ることはできなかったが、今回は心行くまでたっぷりと拝むことができた。
最後に御朱印を貰い、観音堂の隣にある歴史民俗資料館を訪れることにした。
高月観音の里 歴史民俗資料館
十一面観音像を祀る渡岸寺観音堂の隣にある、歴史民俗資料館に立ち寄ってみた。
琵琶湖の北部に位置する湖北地方は、仏教文化が栄え、特に観音像が多く伝わることから「観音の里」と呼ばれているそうだ。
この歴史民俗資料館には、近隣に伝わる多くの仏像が展示され、入館料300円の割には見応えのある資料館であった。
まだまだ行きたい所はてんこ盛り
中山道歩き旅を中断し、彦根市内に残る遊郭跡や彦根城、そして十一面観音像と、観光に1日を費やした。
今回訪れた北陸本線高月駅の隣にある河毛駅には、浅井長政とお市の方の居城であった小谷城址があり、姉川の戦いの場も近い。 さらに北国街道の長浜宿や、石田三成の出生地など、まだまだ行きたい所がてんこ盛りである。
中山道もあと数回で京都に達するが、急ぐことは無い。 今回のように、中山道歩きの中で1日を観光に割り当て、レンタサイクルを借りて回れば面白いかと思う。 その時に渡岸寺の十一面観音に、もう一度会いに行くのも良いかもしれない。
歴史民俗資料館を後にして高月の駅に戻り、米原経由で帰京する。