雉子橋門で外堀巡りを終え、いよいよ内堀沿いを歩くことになる。 外堀沿いは門跡を示す標柱や、櫓台の石垣が残る程度である。 しかし内堀沿いには、立派な渡櫓を持つ門も多く残り、江戸城の昔の姿をリアルに眼に浮かべることができる。
内堀沿いの門の最初として、竹橋門を訪れる。 この竹橋門は、外堀にある現在の雉子橋と、僅か200mほどしか離れていない。 江戸時代の雉子橋門は、もっと西寄りだったようなので、竹橋門との間はもっと近かったのだろう。
現在の竹橋
現在の竹橋は、立派な橋が架かっている。 皇居を挟んで東西をショートカットする代官町通りの東端に位置し、交通量も多い。
現在の竹橋
名の由来は諸説あるようだが、「竹で編んだ簡素な橋が架かっていた」という説が一般的なようだ。 しかし現在は大きな橋が架かり、多くの車が行き交っている。
現在の橋は、大正15年(1926)に帝都復興事業の一環として架橋された。
親柱も立派である。
竹橋門跡
明治5年に、江戸城の21の城門を撤去する方針が決定され、翌明治6年3月より、順次解体工事が行われたそうだ。 おそらく竹橋門も、この一環で撤去されたのかもしれない。
竹橋門跡
橋のたもとにある小公園から、竹橋門があった石垣方向を眺める。 櫓台か橋台の跡と思われる石垣が残る。
竹橋門跡には、往時の竹橋門の写真や説明文が記された石碑が建てられている。
背景のビルは、毎日新聞などが入るパレスサイドビルである。
竹橋門跡から大手町方向を眺める。 遠くに平川門の橋が見える。
江戸切絵図で見る
竹橋門の対岸に「御春屋」と描かれ、「おつきや」と読むそうだ。 江戸城内で使う米などの食材や、燃料などの集荷管理する所で、現在のパレスサイドビルが建つ部分である。
週末や平日の昼休みに、皇居を一周するランナーが多い。 このランナーたちは、竹橋を渡り、代官町通りを走って、半蔵門の方へ抜けていく。