山下門は、現在の銀座の中心地に近い場所にあった。 しかし幸橋門と同様に、遺構はもちろん、地名や交差点の名としても残っていないので、知る人は少ない。
したがって江戸城に興味のない人は、こんな所に江戸城の門があったとは想像も出来ないであろう。 しかし幸橋門と山下門の間では、面白いものを見ることができる。
外堀の底か? Part-1 JR高架下の怪しげな通路
幸橋門跡から有楽町方向に歩き、東京電力本社前の新幸橋交差点を右折してJRの高架をくぐると、高架下に怪しげな通路がある。
JR高架下の怪しげな通路
JR高架下に有楽町方向に延びる、道路から一段低い場所に通路が走る。 この凹みが「埋め立てた外堀の底だった」という説がある。
有楽町側から眺める
有楽町側通路入口から、新橋方向を眺める。 通路はやはり道路より一段下がっている。 入口には「新橋方面近道」と書かれているが、何となく薄暗く、利用する人は少ないようだ。
銀座という場所柄か?
通路を進むと、”寂れた商店街”というより、怪しげな雰囲気が漂う場所である。
華やかな銀座の表の顔から、裏の顔を見るような錯覚に陥る。
外堀の底か? Part-2 JR高架と首都高速間の通路
JRの高架と首都高速の間、つまりコリドー街の裏手には、車1台が通れるほどの路地がある。 この路地も「外堀の底」であったことを顕著に示している。
高架横の通路
JRの高架と首都高速間にある通路。 やはり道路から一段低い。 それも結構急な坂で下り、底地は平坦である。
思わず納得の地形
通路に降りて道路側を見る。 道路上の通行人や車の位置を見ると、2m以上下がっているように見える。 「外堀の底だった」と言われると、「なるほど!」と納得してしまう地形である。
山下門跡
新幸橋の石柱を見てコリドー街沿いに有楽町方向に向かう。 距離にして300mほど進み、T字路を左に曲がったJRの高架下が山下門跡である。
山下門の跡
銀座側から日比谷の帝国ホテルに抜ける道の、JR高架下辺りに山下門があった。 (写真は帝国ホテル側から撮ったもの)
昔は山王社(日枝神社)の下にあったものを、この地に移した為、山下門という名が付いたという説がある。
山下橋の名が残る
山下門は明治6年(1873)に撤去され、現在は全く面影を見ることは出来ない。 かろうじてJR架道橋に「山下橋」の名が残るのみである。
江戸切絵図で見る
山下門は、江戸城の城門の中で最も小さかった。 枡形内で曲がることなく、直進して城内に入れたそうだ。 切絵図をよく見ると、枡形の入口と出口が一直線になっている。
幸橋門と山下門の間にあるJR高架下通路などは、外堀の底だったという面白さを持っている。 しかしそれ以上に面白いのは、華やかな銀座と日比谷の狭間に、取り残されたように広がる異空間の存在である。 是非一度足を踏み入れてみることをお勧めする。