27宿 長久保宿

信州・茂田井

旅行日:2017年5月19日

1年ぶりに再開した中山道歩き旅。 暑いくらいの晴天の中、芦田宿から、次の宿場である長久保宿を目指す。

この長久保宿への道のりは、笠取峠を越えて行く。 そして峠の下りは、「中山道原道」と呼ばれている山道を歩く。 この「中山道原道」の距離は短いが、道を探しながら歩くような感じで、面白い区間であった。

日 付 区 間 里程表 実距離 万歩計 ルート
2017年
5月19日
芦田宿~長久保宿 1里16町 5.7Km 5.7KM 21,941歩 Map
長久保宿~和田宿 2里0町 7.9Km 7.7KM
合 計 3里16町 13.6Km 13.4Km
日本橋からの累計
(累計日数 : 16日目)
49里25町 195.2Km 203.4Km 336,126歩

里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。

実距離の数値をクリックで、ルートラボの計画コースを表示

MAP  : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図


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笠取峠を越える

芦田宿を出ると、すぐに笠取峠である。 「峠」というと、碓氷峠や和田峠のような、山越えをイメージする。 しかし笠取峠越えは、通常の山越えとは異なる。 それは県道142号を、1Km以上にわたりダラダラと続く長い坂である。 「峠」は峠道らしい道を歩きたいものである。

【 松並木入口 】

国道142号の「芦田宿入口」交差点を渡ると、笠取峠の松並木入口である。

笠取峠

【 小諸藩領界の石碑 】

松並木の途中には歌碑や説明版などが置かれている。
また「従是東小諸領」と彫られた、小諸藩領界を示す石柱が復元されている。

小諸領界碑

【 松並木 】

笠取峠の松並木は、小諸藩が幕府から下付された赤松を峠道に植樹した。
現在も百本近く残り、往時の中山道の姿を残している。

笠取峠

【 笠取峠頂上 】

「笠取峠一里塚碑」を見ながら、国道をダラダラと上がる。
笠取峠(標高887m)頂上付近には、「笠取峠竣工記念碑」がある。

笠取峠

中山道原道を行く

笠取峠を越えると、国道142号から右に分岐する旧国道がある。 この旧国道は、右に左にとヘアピンカーブを繰り返す。 しかし旧中山道は、このヘアピンをショートカットする、「中山道原道」と呼ばれる山道を進む。 距離は短いが面白い区間であった。

【 中山道原道入口 】

国道壁面にある笠取峠茶屋のレリーフを眺めながら進む。
やがて旧国道の分岐点に立つ「中山道原道」標柱を目印に、山道に入る。

中山道原道

昔はもう少し道幅は広かっただろうが、この様な道が続いていたのだろう。

中山道原道

【 ガードレールの切れ目から 】

やがて目の前に大きな枝垂桜のある旧国道に出たら左に行く。
馬頭観音のあるカーブの先、ガードレールの切れ目から再び原道に入る。

中山道原道

【 国道に戻る 】

原道は再び旧国道に出て、やがて現在の国道142号に合流する。

旧中山道

松尾神社へ

一度国道142号に出るが、再び右に分岐する旧国道に入る。 旧国道はカーブを描きながら長久保宿目指して下っていくが、「中山道原道」を辿ってショートカットすると、松尾神社の境内に降り立つことが出来る。

【 国道との分岐 】

分岐を右の旧国道に入り、長久保宿へ下り続ける。

旧中山道

【 再び原道へ 】

旧国道から左の原道に入り、下の道に降りる。
左の木立とガードレールの切れ目に小さな案内版が立つ。

中山道原道

【 松尾神社へ 】

更にもう一度ガードレール切れ目から畦道のような原道を下る。
旧国道に出ると、右手に松尾神社へ下る標識が立つ。 最後の原道である。

中山道原道

【 松尾神社 】

原道を下ると、松尾神社境内に降り立つことが出来る。

松尾神社

境内から小さな川を渡り、鳥居をくぐって長久保宿へと入る。

松尾神社

【 中山道原道Map 】

「東信州中山道を歩く」というパンフレットに、原道のルートが出ていた。
現在通行不可の部分も、今後道が切り開かれるかもしれない。

旧中山道

長久保宿 真田幸村の子孫が暮らす

松尾神社の鳥居をくぐって進むと、長久保宿に入る。 長久保宿は、堅町と横町が直角に交わる、江戸から27番目の宿場である。 交通の要衝であったことから、本陣1軒・脇本陣2軒・旅籠43軒と、信濃の国の中山道内では2番目の大きさであった。

また本陣を勤めた「石合家」には、真田幸村の娘「すへ」が嫁ぎ、現在もその子孫がそこで暮らしているそうだ。

【 長久保宿・堅町の風景 】

長久保宿の「堅町」に入る。 古い納屋に梯子が架かる。

長久保宿

軒下には藁が積まれている。 昔はこの藁で縄をなっていたのだろうか?

長久保宿

家の前に大八車や石臼を置いている。
内部を公開しているようだが入らなかった。

長久保宿

【 一福処 濱屋 】

明治初期に旅籠として建てたが、旅人の減少により開業することはなかった。
現在は歴史資料館として公開されている。

長久保宿

2階に上がると、様々な中山道に関する資料が展示されている。

一福処濱屋

【 本陣・石合家と高札場 】

本陣と問屋を務めた「石合家」。 表門は江戸末期のものだそうだ。
大名が宿泊した御殿は、中山道で最古の本陣遺構と云われている。

長久保宿本陣

真田幸村の娘「すへ」が嫁いだ先が、この本陣の「石合家」である。
一福処・濱屋には、「おすへさん」のイメージキャラクターが飾られていた。

おすへさん

【  すへと真田幸村 】

真田幸村(信繁)の長女すへは、長久保宿本陣を務めた石合家の「石合十蔵道定」のもとへ嫁いだ。 そして大阪夏の陣の3カ月前に、真田幸村は石合十蔵宛てに書状を書いている。 この書状の内容も、一福処・濱屋に展示されていた。

【 真田幸村の書状(抜粋)】

「私ども籠城の上は必死の覚悟でおりますから、この世で面談することはもうないかと存じます。 この「すへ」いろいろと御心にかなわぬことがございましても、どうかお見捨てなきようお頼み申し上げます」。
すでに籠城の覚悟と、娘に対する父親の愛情を読み取ることが出来る。 幸村はこの書状の3か月後に、大阪夏の陣で討死した。

【 釜鳴屋(竹内家) 】

江戸時代初期から昭和初期まで酒造業を営んでいた。
享保16年(1731)以前の築で、長野県内では最も古い町屋と云われる。

釜鳴屋

【 問屋跡・九右衛門・小林家 】

土蔵には谷文晁が描いたという恵比須、大黒の壁画があるそうだ。
屋根の鬼瓦には、真田家との関係を示す「六文銭」が彫られている。

長久保宿問屋跡

【 街道は直角に曲がる 】

街道は堅町と横町のT字路に突き当り、左に曲がって横町に入る。
T字路右角に、「中山道 長久保宿 左ぜんこうじ」と刻まれた道標が立つ。

長久保宿

【 辰野屋(竹重家) 】

出梁造り・総二階建の大きな旅籠が残る。
江戸時代末頃の構築と推定されている。

長久保宿辰野屋

【 長久保宿出口の枡形 】

横町バス停先の消防団倉庫脇の路地を右に入る。
昔の枡形跡だそうである。

長久保宿枡形

【 長久保宿出口 】

長久保横町交差点で国道142号と合流。 次の和田宿目指して国道を進む。

長久保宿出口

日本橋から高崎まで北上し、高崎で左に折れてしばらく西に進んでいた。 しかし今回の長久保宿で、街道は直角に曲がり、和田峠から下諏訪に向けて南下を始める。 今まで地図が下から上、そして右から左へとルートを追ってきたが、今度は上から下へと道を追うようになった。


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