近 江(江州) 中山道 第61宿 醒井宿(1) 東山道古道(旧中山道)を歩く 中山道柏原宿から醒井宿入口までの、のどかな街道歩きの記録。この区間には古代東山道(旧中山道)が残る所もあり、鬱蒼とした山林の中を、往時の旅人になった気分で歩くことができる。 2023.01.25 近 江(江州)
近 江(江州) 中山道 第60宿 柏原宿(2) 福助人形のモデルがいた宿場 柏原宿で伊吹もぐさを商う伊吹堂は、江戸吉原の遊女に伊吹堂のCMソングを唄わせ名を広め、大繁盛したと伝わる。また福助人形のモデルと云われた番頭さんがいたともいう。 2023.01.16 近 江(江州)
近 江(江州) 中山道 第60宿 柏原宿(1) 美濃と近江の国境は細い溝だった 美濃路を抜け、近江の最初の宿場である柏原宿を目指す。途中街道を横切る細い排水溝のような溝が、美濃と近江の国境であった。この国境付近は「寝物語の里」とも呼ばれ、名の由来が面白い地である。 2023.01.06 近 江(江州)
美 濃(濃州) 中山道 第59宿 今須宿(2) 美濃路最後の宿場を行く 美濃十六宿の最西端の宿場である今須宿。すぐ先は美濃と近江の国境である。明治期になると東海道線が開通し、宿場機能が廃れて衰退したようである。現在は宿場時代の建物や遺構は少ないが、静かな時間が流れる宿場である。 2023.01.02 美 濃(濃州)
美 濃(濃州) 中山道 第59宿 今須宿(1) 「天下分け目の戦い」は2度あった 中山道関ヶ原宿から今須宿の間には、古代東山道時代の関所「不破関」跡がある。この関所を境に、関東と関西という呼称が使われるようになったともいう。また壬申の乱の激戦地でもあり、関ケ原の戦いと2度の天下分け目の戦いが繰り広げられた地である。 2022.12.29 美 濃(濃州)
美 濃(濃州) 中山道 第58宿 関ヶ原宿(1) さまざまな「天下の分け目」 「天下分け目の関ケ原」で有名な関ヶ原宿。しかし正月のお雑煮で「切り餅」か「丸餅」かの分け目も関ヶ原である。他に「うどんつゆ」「いなり寿司」「スキヤキのネギ」など、様々な「分け目」が関ケ原近辺にあるようだ。 2022.11.05 美 濃(濃州)
美 濃(濃州) 中山道 第57宿 垂井宿(2) 静かな宿場風情を残す町 江戸から57番目の垂井宿。旅籠だった亀丸屋や長浜屋の建物などが残り、観光地化されていない静かな宿場風景を残している。南北朝の争乱期には、北朝の仮御所が置かれ、足利尊氏も訪れたという歴史を持っている。 2022.10.29 美 濃(濃州)
美 濃(濃州) 中山道 第57宿 垂井宿(1) 「昼飯町」と「青墓町」 赤坂宿から垂井宿の間には、源義朝(頼朝や義経の父)が平治の乱で平清盛に敗れ、落ち延びてきた地が青墓町がある。また江戸城三大刀傷事件に数えられる事件を起こした青野城城主など、歴史的な逸話に事欠かない地域である。 2022.10.12 美 濃(濃州)
美 濃(濃州) 中山道 第56宿 赤坂宿(2) 「お嫁入り普請」で見栄を張る 「お嫁入り普請」とは家並の見栄えを良くするため、街道側だけを2階屋に見せた建物。言い換えれば「なんちゃって2階屋」である。幕末の皇女和宮降嫁時に、赤坂宿があまりに貧相だったので、この方法で54軒も立替えたという。 2022.10.06 美 濃(濃州)
美 濃(濃州) 中山道 第56宿 赤坂宿(1) 呂久川は流れを変えて揖斐川へ 中山道の美江寺宿と赤坂宿の間には呂久川が流れ、渡し舟で川を越えていた。あの皇女和宮も呂久川を御座船で渡っている。しかし現在は細い用水路に姿を変え、ここに渡しがあったとは思えない。呂久川は何処に消えたのだろうか??? 2022.09.01 美 濃(濃州)