のんびり東海道

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相模(相州)

第9宿 小田原宿 多くの石仏が街道沿いに残る

大磯宿を出発し小田原までの街道旅で、国府津付近では碧く広がる相模湾を眺めることもできる。国道1号沿いには意外と石仏が多く、道路拡幅で集められたと思う多数の石仏が置かれた所も数か所見られた。さすがに江戸時代のメイン街道である。
相模(相州)

第8宿 大磯宿 いきなり「番町皿屋敷」で始まった

JR平塚駅から大磯宿を経て小田原宿を目指す。最初に現れたのは、あの「番町皿屋敷」でお皿を数え続ける女中・お菊の塚であった。そして歩を進めて大磯宿に入ると、次は「虎御前」という凄い名を持つ女性。大磯宿への道は、女性にまつわる話が多かった。
相模(相州)

第7宿 平塚宿 「源頼朝」の死を招いた落馬事故

平塚宿手前では、関東大震災で姿を現した、鎌倉時代に架橋された旧相模川橋脚を見ることができる。この橋の開通祝いに、征夷大将軍である「源頼朝」も出席した。しかしその帰り道、頼朝は馬から転げ落ち、それが原因で亡くなったそうである。
相模(相州)

第6宿 藤沢宿 源義経や小栗判官の伝説が残る

「湘南」というお洒落なイメージのある藤沢には義経伝説が多く残り、「義経の首洗い井戸」や「首塚」、「弁慶塚」などが残されている。 また昔何かで読んだような記憶のある「小栗判官照手姫」にまつわる伝説も残る。 さすがに旧街道沿いの宿場である。
相模(相州)

第5宿 戸塚宿 激坂「権太坂」を越えて相模国へ

江戸を出発した旅人は、その日は戸塚まで歩いて宿泊したそうだ。 しかし戸塚の手前にある「権太坂」は、行き倒れも発生するほどの難所だったと言われている。 この旧東海道に残る権太坂を越え、武蔵国から相模国へと歩いてみた。
武蔵(武州)

第4宿 保土ヶ谷宿 賑やかな下町商店街と化した宿場町

神奈川宿(横浜)を出発して、保土ヶ谷宿、戸塚宿を目指す日帰り旅。 昔の人は1日40キロを歩き、日本橋を出発して戸塚宿まで足を延ばした。そのため手前の保土谷宿に泊まるのは、足弱の人と言われたという。超軟弱な私は、すでに日本橋から3日目である・・・
武蔵(武州)

第3宿 神奈川宿 横浜で働いた坂本龍馬の妻「おりょう」

幕末から明治初期の頃の史跡が数多く残る横浜に、幕末の志士・坂本龍馬の妻「おりょう」が仲居として働いていた割烹料亭が、今でも営業を続けていた。 また浦島伝説の残る地もあり、浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったという、驚くべきものが残されていた。
武蔵(武州)

第2宿 川崎宿 川崎の風俗の歴史を学ぶ

品川宿から川崎宿への途中に鈴ヶ森刑場跡があり、磔刑や火炙りの刑がどのように行われたのかを調べた。身震いするような方法であったが、それ以上に興味を引いたのは、川崎の風俗の歴史であった。 川崎といえば堀之内・・・だけではなかった!
武蔵(武州)

第1宿 品川宿(2) ビルの谷間に残る昭和の風景

JR品川駅を過ぎ、八ツ山橋を越えると品川宿である。 往時は多数の飯盛女で賑わい、戦後も赤線?として残ったそうだ。今は宿場風景が残るとは期待していなかったが、Deepな雰囲気や怪しげな場所を期待して歩いてみた。
武蔵(武州)

1宿 品川宿(1) 散歩気分で東海道

戦国武将・福島正則の供養塔が品川区の三田にあることを知り、どうせ訪れるなら日本橋から歩いてみようと、衝動的に東海道を歩き始めた。殆どは訪れたことのある場所だが、まずは日本橋からJR品川駅までの東京見物である。
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