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信 濃(信州)

中山道 第18宿 軽井沢宿(2) 宿場の面影は何処へ・・・

碓氷峠を控えた軽井沢宿は街道屈指の繁栄を誇り、飯盛女も多数抱えていたそうだ。しかし現在は宿場町の面影も消え失せ、夏の軽井沢銀座は東京と変わぬ賑わいである。お洒落な旧軽商店街を足早に抜けて、沓掛宿を目指す。
信 濃(信州)

中山道 第18宿 軽井沢宿(1) 紅葉の碓氷峠を越えて

いよいよ関東平野に別れを告げ、碓氷峠への上りにかかる。標高差は500mほどというが、わらじで歩いた江戸時代の旅人と異なり、しっかりとした靴で、紅葉真っ盛りの道を楽しみながら歩くことができた。碓氷峠の上に立てば、いよいよ信濃の国である。
気まぐれ日記

季節外れのふぐ料理

5月25日から4泊5日で大阪・奈良へ行ってきた。 タコ焼きやお好み焼きなども食べてきたが、せっかくの大阪なので「うどんすき」か「ふぐ」を食べたくなった。 うどんすきの「美々卯」も良いが、ホテルに比較的近いフグの「太政」に足を運ぶ。 ...
上 野(上州)

中山道 第17宿 坂本宿 「峠の釜めし」と碓井関所跡

妙義山の山容を眺めながら歩くと、やがて信越線の終着となった横川に到着である。横川といえば荻野屋の「峠の釜めし」。釜めしで腹を満たして旅を再開すると、すぐに「碓氷関所跡」が現れる。「入り鉄砲に出女」といわれるように、厳しい検問が行われていた。
気まぐれ日記

イタリア産のお洒落な小松菜

先月ホームセンターで小松菜の種を買い、ベランダのプランターに適当にばら撒いてみた。 その結果、芝生のようにびっしりと・・・ 適当に間引いて、つまみ菜として食卓に供する。 中国産の種だろうが、食べて大丈夫か? ...
上 野(上州)

中山道 第16宿 松井田宿 侍たちのマラソン大会 安政遠足

慶長7年に碓氷峠越えの道が中山道として制定されると、松井田に宿が開かれた。1855年(安政2年)、安中藩は藩士鍛錬のため、安中城から碓氷峠の熊野権現神社までを走らせた。「安政遠足(とおあし)」と呼ばれ、日本のマラソン発祥ともいわれている。
江戸城三十六見附

赤坂門

喰違門のカーブを抜けると、ホテルニューオータニと紀尾井ホール間の交差点に出る。 ここから赤坂門に向け、急勾配の紀尾井坂を下り、弁慶橋を目指す。 この付近一帯には、紀伊徳川家の他、尾張徳川家、彦根藩井伊家の中屋敷があったことから「紀...
江戸城三十六見附

喰違門

浅草橋から総武・中央線沿いに西に向かっていた外堀は、四谷でJR線路と別れ、東に向かうために赤坂方向に大きくUターンを開始する。 四谷から喰違門の間は、市ヶ谷からの土塁が続く。 しかし右手の真田堀は埋められ、上智大のグランウドになっている...
上 野(上州)

中山道 第15宿 安中宿 安中藩士の住居が残る大名小路

安中城の城下町として発展した安中宿。「大名小路」と呼ばれる道沿いには、旧碓氷郡役所、旧安中藩郡奉行役宅や武家長屋などが復元されている。新島襄は安中藩士の子として生まれたが、実際には江戸屋敷で生まれ育ったそうだ。
江戸城三十六見附

四谷門

市ヶ谷を出て四谷門を目指す。 JR市ヶ谷駅前から200mほどオフィスなどが建ち並ぶ道を行くと、再び外堀の土塁が現れる。 しかし土塁から見下ろす外堀は、途中から埋め立てられてグラウンドへと姿を変えている。 四ツ谷門から四谷大木戸(現...
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