美術館・美術展めぐり 江戸東京博物館 「戦国時代展」へ行ってきた テレビの「ぶらぶら美術・博物館」という番組で、江戸東京博物館で開催されている「戦国時代展」を紹介していた。 山田五郎の軽妙な解説を聞きながら、「なかなか面白そうだ・・・」と、早速翌日の土曜日に行ってきた。 この「ぶらぶら美術・博物... 2017.01.23 美術館・美術展めぐり
江戸城三十六見附 坂下門 「桜田門外の変」から2年後に・・・ 江戸城西の丸の坂下にあったので、「坂下門」と呼ばれるようになったそうだ。 文久2年(1862)1月、老中・安藤信正が登城途中に、この坂下門の前で6名の水戸浪士に襲撃された。 さいわい一命は取りとめたが、老中は罷免された。 桜田門外... 2017.01.20 江戸城三十六見附
江戸城三十六見附 西の丸玄関門 勘違いの多い二重橋 国賓来日時などに開かれる「皇居正門」(旧称:西の丸大手門)から入城し、右へUターンするように反転して「二重橋」を渡ると「西の丸玄関門」があった。 現在はどうなっているのか? 平民である私には無縁な門であり、外から見えないので良く判らない... 2017.01.16 江戸城三十六見附
江戸城三十六見附 西の丸大手門 現在の「皇居正門」 桜田門から皇居前広場に入り、玉砂利が敷き詰められた中の道を、桜田濠に沿って進む。 広場の向こうに立ち並ぶ、オフィス街を眺めながら進むと、やがて「西の丸大手門」が現れる。 この「西の丸大手門」は、現在は「皇居正門」と名前が変更されている。... 2017.01.12 江戸城三十六見附
江戸城三十六見附 和田倉門 酒とするめを配った明治天皇 お濠に沿って日比谷通りを大手町方向に歩くと、お濠の上に架かる木橋が見えてくる。 和田倉門に向けて架かる和田倉橋である。 江戸末期の慶応4年(1868)、勝海舟と西郷隆盛の会談により、江戸城の無血開城が決定された。 同年10月には明... 2016.12.28 江戸城三十六見附
気まぐれ日記 障子の張り替え 思わぬ失敗をする 我が家はマンション生活であるが、和室が一つある。 その和室には障子があるのだが、黄ばんできたので張り替えろと妻が言い出した。 上の写真は張り替え前の障子である。 これも数年前に自分で張り替えたものだが、私の目から見ると、充分に白くて美し... 2016.12.27 気まぐれ日記
江戸城三十六見附 馬場先門 忠臣・楠木正成が皇居を見守る 東京駅から、丸の内の三菱村を抜けて馬場先門に向かう。 この丸ノ内という地名からも判るように、江戸時代は内堀と外堀の間に、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれる大名屋敷が並んでいた。 明治維新後に大名屋敷は取り壊され、陸軍練兵場を経て、... 2016.12.17 江戸城三十六見附
デジタル生活 街道歩きに役立つデジタル七つ道具 2012年に自転車で「しまなみ海道」や「とびしま海道」を走った頃から、旅行時に持参するデジタルギアが増えてきた。 自転車で 又は 旧街道を歩いて旅する時、更に山に登るときなどに活躍している。 ここに 現在愛用しているギアを紹介しよう。 ... 2016.12.15 デジタル生活
江戸城三十六見附 日比谷門 それは日比谷公園の中にある 桜田門から皇居前広場を通って、日比谷門に向かう。 江戸城には内濠、外濠の沿って、36の見附があったそうだが、この日比谷門は、唯一橋のない枡形門であった。 現在は日比谷公園の中に石垣のみが残る。 皇居前広場(皇居外苑) 桜田門... 2016.12.13 江戸城三十六見附
江戸城三十六見附 桜田門 壮絶すぎる「桜田門外の変」 半蔵門から桜田門へ向かう。 正式には「外桜田門」である。 外があれば内もあり、現在「桔梗門」と呼ばれている門が「内桜田門」である。 しかし 今は「桜田門」といえば、外桜田門のことを指している。 桜田門という名称は、「警視庁」の俗称... 2016.12.08 江戸城三十六見附