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美術館・美術展めぐり

江戸東京博物館 「戦国時代展」へ行ってきた

テレビの「ぶらぶら美術・博物館」という番組で、江戸東京博物館で開催されている「戦国時代展」を紹介していた。 山田五郎の軽妙な解説を聞きながら、「なかなか面白そうだ・・・」と、早速翌日の土曜日に行ってきた。 この「ぶらぶら美術・博物...
江戸城三十六見附

坂下門 「桜田門外の変」から2年後に・・・

江戸城西の丸の坂下にあったので、「坂下門」と呼ばれるようになったそうだ。 文久2年(1862)1月、老中・安藤信正が登城途中に、この坂下門の前で6名の水戸浪士に襲撃された。 さいわい一命は取りとめたが、老中は罷免された。 桜田門外...
江戸城三十六見附

西の丸玄関門 勘違いの多い二重橋

国賓来日時などに開かれる「皇居正門」(旧称:西の丸大手門)から入城し、右へUターンするように反転して「二重橋」を渡ると「西の丸玄関門」があった。 現在はどうなっているのか? 平民である私には無縁な門であり、外から見えないので良く判らない...
江戸城三十六見附

西の丸大手門 現在の「皇居正門」

桜田門から皇居前広場に入り、玉砂利が敷き詰められた中の道を、桜田濠に沿って進む。 広場の向こうに立ち並ぶ、オフィス街を眺めながら進むと、やがて「西の丸大手門」が現れる。 この「西の丸大手門」は、現在は「皇居正門」と名前が変更されている。...
江戸城三十六見附

和田倉門 酒とするめを配った明治天皇

お濠に沿って日比谷通りを大手町方向に歩くと、お濠の上に架かる木橋が見えてくる。 和田倉門に向けて架かる和田倉橋である。 江戸末期の慶応4年(1868)、勝海舟と西郷隆盛の会談により、江戸城の無血開城が決定された。 同年10月には明...
気まぐれ日記

障子の張り替え 思わぬ失敗をする

我が家はマンション生活であるが、和室が一つある。 その和室には障子があるのだが、黄ばんできたので張り替えろと妻が言い出した。 上の写真は張り替え前の障子である。 これも数年前に自分で張り替えたものだが、私の目から見ると、充分に白くて美し...
江戸城三十六見附

馬場先門 忠臣・楠木正成が皇居を見守る

東京駅から、丸の内の三菱村を抜けて馬場先門に向かう。 この丸ノ内という地名からも判るように、江戸時代は内堀と外堀の間に、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれる大名屋敷が並んでいた。 明治維新後に大名屋敷は取り壊され、陸軍練兵場を経て、...
デジタル生活

街道歩きに役立つデジタル七つ道具

2012年に自転車で「しまなみ海道」や「とびしま海道」を走った頃から、旅行時に持参するデジタルギアが増えてきた。 自転車で 又は 旧街道を歩いて旅する時、更に山に登るときなどに活躍している。 ここに 現在愛用しているギアを紹介しよう。 ...
江戸城三十六見附

日比谷門 それは日比谷公園の中にある

桜田門から皇居前広場を通って、日比谷門に向かう。 江戸城には内濠、外濠の沿って、36の見附があったそうだが、この日比谷門は、唯一橋のない枡形門であった。 現在は日比谷公園の中に石垣のみが残る。 皇居前広場(皇居外苑) 桜田門...
江戸城三十六見附

桜田門 壮絶すぎる「桜田門外の変」

半蔵門から桜田門へ向かう。 正式には「外桜田門」である。 外があれば内もあり、現在「桔梗門」と呼ばれている門が「内桜田門」である。 しかし 今は「桜田門」といえば、外桜田門のことを指している。 桜田門という名称は、「警視庁」の俗称...
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