旅行日 : 2016年12月19日
2016年の街道歩きは、春に旧中山道の岩村田から芦田まで歩いただけであった。 その後、仕事や天候の関係で腰が重くなり、ついに冬を迎えてしまった。
冬の間に、日光街道の東京近郊部だけでも歩こうと歩き始めた。 しかし今回で2回目だというのに、もう年末である。 年内の街道歩きは今回が最後になるだろうが、北風に負けないよう、年明けからも頑張ろう。
日 付 | 区 間 | 宿間距離 | 実距離 | 万歩計 | ルート | |
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2016年12月19日 | 千住宿から草加宿 | 9.9Km | 13.98Km | 19,191歩 | Map | |
日本橋からの累計 (累計日数 : 2日目) |
18.6Km | 25.48Km | 35,533歩 |
宿間距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。
(宿間距離の数値クリックで、ルートラボの計画ルートを表示)
実距離 : 寄り道などを含め、GPSログを基に基に実際に歩いたコース距離。
(ルート欄の「Map」→ GPSログから作図した実ルートを表示)
北千住駅から出発
常磐線の北千住駅に降り立ち、前回歩いた「宿場通り」から出発である。 旧日光街道は、東武スカイツリーラインや常磐線が並走しているので、交通の便が良いので助かる。
【 千住宿 】
千住ほんちょう公園には、「千住宿」の額を掲げた門と
傍らに「千住宿 高札場由来」の説明板が建っている。
「旧日光道中」と「旧水戸佐倉道」の道標が立つ。
水戸街道への分岐であろう。
千住新橋と荒川
千住宿を進むと、江戸時代には無かった荒川にぶつかる。 この荒川は、隅田川の岩淵水門で分流した人工の川である。 隅田川の氾濫防止のため、明治13年に完成した放水路である。
【 国道4号の下をくぐる 】
土手沿いに進んで、国道4号の下をくぐる。
左のビルには足立区立中央図書館が入る
【 千住新橋 】
橋の下をくぐり、その先の螺旋階段を上ると橋の上に出た。
とても人工の川とは思えない川幅である。
【 石不動尊とお地蔵様 】
石不動尊の祠と、服を着たお地蔵様が立つ。 お地蔵様は、昔は荒川土手にあったが、道路拡張によりここへ移設され、今でも荒川方向に向いている。
直線の道を淡々と歩く
東武スカイツリーラインの梅島駅より、3Kmほどの直線の道を淡々と歩く。
【 国土安穏寺 】
街道から左に入ると、応永17年(1410)創建の国土安穏寺がある。
徳川秀忠・家光が、当所巡遊時の御善所としたそうで、立派な仁王門が建つ。
【 旧道を少し歩く 】
紅白に塗り分けられた、足立清掃工場の大きな煙突が近づく。
分岐を右に入り、一時旧道をを歩くが、すぐに元の道に戻る。
埼玉県に入る
国道4号・草加バイパスの下をくぐり、毛長川を水神橋で渡る。
いよいよ東京都とお別れして、埼玉県草加市へと入る。
【 火あぶり地蔵尊 】
交差点角に、小さな祠が建つ。 「火あぶり地蔵尊」である。
親思いの娘が、火あぶりの刑に処されたという、悲しい話が残る。
【火あぶり地蔵尊】
母を残して奉公に出た親思いの娘が、「母危篤」の知らせを受けたが暇をもらえず、奉公先が焼けてしまえば母のもとに帰れると思い、火を点けてしまった。 捕らえられた娘は火あぶりの刑に処せられ、村人が哀れに思い、ここに地蔵尊を祀ったといわれる。 またこの附近には刑場もあり、その供養の為とも言われている。
草加宿
草加宿は江戸から四里二十町(17.9km)、本陣×1・脇本陣×1・旅籠×67を有する、日光街道で2番目の宿場町であった。
草加周辺はもともと沼地だったが、「大川図書(おおかわずしょ)」という人が埋め立て、大きく東に迂回していた日光道中を、まっすぐな新道に変えたといわれてる。
【 草加宿への分岐 】
草加市役所の方へ分岐する、左の旧街道に入る。
分岐点には「今様草加宿」と書かれた碑が立つ。
【 草加市役所の地蔵堂 】
草加市役所の角に地蔵堂が建つ。 草加宿の豪商「大和屋」本宅角にあった
屋敷神で、子育て地蔵尊として祀った地蔵菩薩立像だそうだ。
【 草加宿の古い建物 】
市役所通りに入ると、古くて趣のある建物が少し残る。
懐かしい防火用水が残る。
水が張っているのか確認しなかった。
【 本陣跡 】
宝暦年間までは大川本陣、その後明治になるまでは清水本陣と、二つの本陣があった。 二つの碑が向かい合って建っている。
【 おせん茶屋 】
草加煎餅の創始者である「おせんさん」から名付けられた茶屋風の休憩所。 手前には「日光街道」の石碑も建つ。
【 巨大な草加煎餅 】
巨大なお煎餅が空に浮く。 さすがに草加煎餅の本場である。
【 久野家住宅 】
安政二年の江戸大地震や明治三年の大火も免れ、草加宿内では古い形式を伝える町屋建築。 休憩所として解放されているようだが、閉まっていた。
【 怪しげな記号 】
神明宮の鳥居礎石に、怪しげな記号が彫られている。 几号(きごう)というもので、明治7年に導入されたイギリス式測量方法の英国式水準点だそうだ。 「不」のマークは、横線は測量に用いる平板、下部分は三脚を表している。
【 河合曾良の像 】
県道49号との合流点にある小さな公園。
奥の細道に同行した「河合曾良」という芭蕉の弟子の像が立つ。
あまり見るものもなく、退屈な直線の道を歩いていると、さすがに飽きてくる。 この先越谷宿まで歩いても、途中の道は面白くもなさそうである。 寒いことでもあるので、さっさと切り上げて、草加の駅から帰途についた。