番町皿屋敷の女中「お菊」 その死の真相は如何に?

怪談

「四谷怪談」「牡丹灯篭」、そして「番町皿屋敷」は、日本の3大怪談噺として有名である。 この中の一つである番町皿屋敷の主人公「お菊」の墓が、JR東海道線・平塚駅のすぐ近くにある。

厳密にいうと墓ではなく、かつて墓のあった場所に造られた塚で、「お菊塚」と呼ばれている。

  • 場 所 : 紅谷町公園
  • 所在地 : 神奈川県平塚市紅谷町15-22
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飲み屋街に囲まれた「お菊塚」

JR東海道線の平塚駅から歩いて5分ほどの所に、小さな「紅谷町公園」がある。

周りはカラオケ、居酒屋などで、公園の向かいにはラブホまである。 小さな子供を遊ばせたいとは思えない環境にある公園の一角に、「番町皿屋敷」の主人公「お菊」の塚がある。

お菊塚

傍には平塚市観光協会が作成した説明版も立つ。

お菊塚

説明版を超訳して想像すると・・・

写真で観光協会の説明板を読むには、字が小さくて目が疲れる。 そこで説明板を要約し、独自の想像を加味してストーリーを考えてみた。

 

【出演者】

  • お菊  : 平塚宿役人・真壁源右衛門の娘
  • 青山主善: お菊の奉公先である江戸の旗本

 

【あらすじ】

お菊は行儀作法見習いのため、江戸の旗本青山主膳方へ奉公に出た。 そして主膳の家来がお菊を見染め、口説いたが見事に肘鉄を喰らってしまった。 恨み骨髄の家来は、青山家家宝の皿を隠し、主膳に「お菊が紛失した」と告げ口をしたのである。

古伊万里

これを聞いた主膳はお菊を呼び出し詰問をしたのである。

主膳 : わが家の家宝を紛失したのはお主か?
お菊 : とんでも御座いませぬ。決してそのようなことは・・・
主膳 : エ~ィ 正直に申せ。 申さぬと手討ちにしてくれる!
お菊 : ご無体な お許しを~

背を向けて逃げるお菊を主膳が追い、帯に手をかけてグイッ!と引くと・・・

お菊 : あ~れぇ~!

手籠め

お菊の体は独楽の様にくるくると回り、乱れた裾から見え隠れする白い太腿を目にした主膳。 思わず生唾をゴクリと飲み込み、理性をかなぐり捨て、色情・欲情・淫欲の塊となってお菊に襲いかかり手籠めに・・・

おっと・・・ 妄想に走りすぎた。 「手籠め」ではなく「手討ち」にしてしまったのである。

無念すぎる死を遂げたお菊は・・・

この時お菊は24歳。 手打ちにされたお菊は、長持ちに詰められて馬入川の渡し場で父親の許に戻された。 そして 当時の刑死人は墓を作らなかったようで、父親の源右衛門はセンダンの木を墓標としてこの地に埋葬したという。 また紛失したという皿は、後日発見されたそうだ。

この事件は元文5年(1740)2月の出来事と云われ、無念すぎる死を遂げたお菊の怨念が「番町皿屋敷」として語り継がれるようなったのだろう。

怪談

実際に遺骨が発掘された!

皿屋敷の怪談噺は「番町皿屋敷」だけでなく、「播州皿屋敷」として姫路城に「お菊井戸」が残る。 したがって全くの創作話だと思っていたので、実在人物がいたとは驚きである。

Wikipediaで「お菊塚」を調べると、昭和27年の区画整理事業で、真壁家の墓地を平塚市が掘り返すと、言い伝え通りセンダンの木の下から、お菊の遺骸が座り姿で現れたそうだ。

そして遺骨は丁寧に集められ、新たな真壁家の墓地に埋葬されたという。

皿屋敷の真実は? 東京市ヶ谷の帯坂


JR中央線の市ヶ谷駅のすぐそばに「帯坂」という名の坂がある。 この付近は一番組から六番組までの「大番組」と呼ばれる、江戸城西側を守る旗本たちが住んでいた地域である。

この「帯坂」に立つ坂名を示す標柱には、「番町皿屋敷の旗本青山播磨の腰元お菊が髪をふり乱し帯を引きずって逃げたという伝説によります」と説明されている。 やはり「あ~れ~ぇ!」と帯を解かれ、手籠め寸前で逃げ出した姿なのだろう。

このことから考えると、手打ちにされた別の理由が浮かび上がってくる。 それは皿の紛失ではなく、手籠めに失敗した主膳が、妻やお上に訴えられることを恐れて口封じ・・・

それにしても日本の怪談噺や幽霊画などは、何故か女性ばかりである。 これは何故か???

 

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