旅行日:2023年5月26日
旧中山道の愛知川宿から武佐宿に向けて歩く途中、東近江市五個荘の近くを通る。
五個荘は近江商人発祥の地と云われ、主に江戸時代後期から明治・大正・昭和戦前期にかけて、呉服や綿・絹製品を中心に、天秤担いで全国を行商して財を成した商人たちである。
五個荘金堂地区には、この商人たちの本宅と、伝統的な農家住宅の美しい街並みを見ることができるという。
中山道から五個荘金堂まで1Km以上あるが、今回を逃すと他に訪れる機会はないだろうと、少々時間を割いて寄道することにした。
近江商人とは
近江商人とは、江戸時代後期から明治・大正・昭和戦前期にかけて活躍した商人で、大阪商人、伊勢商人とならぶ三大商人の一つである。
主に呉服や麻布などの繊維関係を中心に、天秤かついで全国を行商して販路を拡大した。
そして一定のシェアと資金を蓄えると、江戸の日本橋や大阪の本町に支店を開設するなどして活躍したという。
現在も近江商人をルーツに持つ大企業は多い。 代表的な企業としては、商社の伊藤忠や丸紅、百貨店の高島屋、寝具の西川産業、ワコールや日本生命などがそうである。
ちなみに近江鉄道の駅名は「五箇荘」と旧来の地名だが、明治に入って町村制が施行された時から「五個荘」と表記されるようになったそうだ。
龍田神社
中山道を右に曲がり、国道8号を越えて五個荘龍田町に入る。
右手に立派な龍田神社が現れる。 拝殿の屋根は最近葺き替えられたようで綺麗であった。
さすが近江商人の町 超立派な小学校の正門
東近江市立五個荘小学校の前を通って、その正門を見て驚いた。
たぶん正門だと思うが、まるで長屋門。 公立の小学校なのに、この豪華さは何なんだ? 東京や自宅近辺の学校は、「いかにも・・・」という変哲もない校舎が建っているが、地方に行くと立派な校舎を持つ学校を見かける。
自治体の財政が豊かなのか、中央からの補助が手厚いのか それとも地元の寄付なのか??
大城神社 朝ドラのロケ地
大きな石で石垣が築かれた大城神社。 見たことはないが、朝ドラの「カムカムエブリバディ」のロケ地だそうだ。
神社の先に五個荘金堂地区の町並みが見えてきた。
安福寺
大城神社の前から道幅が広がり、左に広い敷地を持つ立派な家が立ち並ぶ。 確かに東京の田園調布などとは家の造りが違う。
細い路地を見ると長い板塀が続き、奥行きのある敷地であることがわかる。
やがて塀も何もない駐車場のような砂利の広場の奥に、シャチホコを屋根に乗せた安福寺が現れる。 山門もなければ寺名の表示すらない変わったお寺であった。
弘誓寺
「弘誓寺」で「ぐぜいじ」と読むそうだ。 この寺を開基した愚咄坊(ぐとつぼう)は、何と那須与一の孫だそうだ。
那須与一は源頼朝の御家人で、源平合戦で船の上に立つ「扇の的」を見事に射抜いた弓の名手として有名である。
浄栄寺と弘誓寺が並ぶ通りには、鯉が泳ぐ用水路が流れている。
弘誓寺の大きな本堂は宝暦5年(1755)に建てられ、国の重要文化財に指定されている。
小屋根を持つ建物は書院か客殿なのだろう。
弘誓寺の横にある出入口から出て、境内を振り返る。
五個荘金堂の町並み
五個荘金堂地区は立派な門構えを持つ広大な屋敷と、建物の塀に沿って清らかな湧き水を引き込んだ用水路が巡らされている。
建物や板塀は西日本独特の焼杉板で覆われ、漆喰の白壁と相まって美しい。
焼杉板はスギ板の表面を真っ黒に焼き、炭素でコーティングすることで耐久性が増す効果があり、西日本のみにみられる伝統的な技法だそうだ。
下の写真では木の地肌が現れているが、これは当初は真っ黒だったが、炭化した黒い部分が長年の風雨で流れ落ちてしまったのだろう。 独特の美しさがある。
だいたい関東では板を横に貼る下見板張りなので、近江の縦に張った羽目板方式の外壁は目新しく感じる。
弘誓寺の前に戻ってきた。 右の茅葺の屋根には、アワビの貝殻がぶら下がっている。
調べると鳥よけらしい。 巣作り用に萱を抜く鳥がいるのだろう。 たぶんカラスだ。
近江商人屋敷 外村 繁邸
公開されている近江商人屋敷の一つ、「外村 繁邸」を見学する。
外村 繁は着物問屋の三男に生まれ、東大を卒業後家業を継いだが文学に転じ、「筏」という作品で野間文芸賞を受賞したという。
敷かれたレールに乗らず、文学の世界に飛び込むとは偉い。 自分なら安易な道を選ぶだろう・・・
涼しそうな広い部屋。 狭い我家とは比較にならない・・・
屋敷内に水路の水を引き込み、野菜や鍋、釜などの洗い場にした「川戸」が設けられている。
妻女心得條 近江商人屋敷に伝わる妻の心得
同じく外村 繁邸内に貼り出されていた「妻女心得條」。 外村 繁邸に伝わる妻の心得だそうだが、なかなか面白い。
しかし現代の女性からは、反発を喰らう部分もあるようだ。
うどんで〆る
外村 繁邸の向かいに「いっぺき」という、うどん屋さんがあった。 近江商人屋敷の一部を店舗にしたような店で、ちょうど昼時だったので「いっぺき御前」を昼食に・・・
五個荘は大きくて立派な家が多い。 「こんな所に住みたいな!」とも思ったが・・・ 「いや 待てよ?」
・夫婦2人の生活になった今、こんな大きな家は必要ない。
・庭の手入れなど、維持費もだいぶ掛かりそうだ。
・息子たちは、たぶん家を継がないだろうし・・・
庶民の悲しさ。 否定的なことばかり頭に浮かんだ。
しかし よく考えると、この地に住む人々はお金持ち。 庭師を入れ、家の手入れも出入りの職人がいるのだろう。 もしかしたら、ここを別荘がわりにしている家もあるかもしれない。
いずれにしても、サラリーマンの成れの果ての年金暮らしにとっては、縁のない世界である。
来た道を戻って再び中山道に復帰し、中山道歩きを続けることにしよう。