千葉と習志野に残る 旧陸軍鉄道連隊の名残りを歩く

K2形蒸気機関車

訪問日:2021年2月4日(木)

千葉県内の広範囲に残るといわれる旧鉄道連隊の戦争遺跡、なかでも千葉から津田沼を結んだ演習線は路線跡も残され、 昔日の面影を今に伝えている。

明治41年(1908)に旧千葉町都賀村に設置された陸軍鉄道連隊は、その後 大正7年(1918)に鉄道第一連隊、鉄道第二連隊として改編された。 現在の千葉公園付近には第一連隊演習所が置かれ、JR津田沼駅付近には第二連隊が置かれた。

よく晴れた一日、千葉と津田沼に残された鉄道連隊の戦争遺跡、またその間を結んだ演習線の跡地を訪れてみた。

【 スポンサーリンク 】

千葉公園に残る鉄道第一連隊の遺構

JR千葉駅からモノレールに沿って北へ500mほど歩くと、千葉公園がある。 この千葉公園内の綿打池付近から競輪場にかけての一帯が、鉄道第一連隊の演習所であった。

千葉公園

鉄道第一連隊演習所跡

公園に入ると、すぐ右手に演習所跡の説明版がある。 説明文は文字がかすれ始めていた。

千葉公園

荒木山(後述)の説明版に、千葉市内にあった陸軍関係の学校・施設を示す地図があった。 鉄道連隊だけでなく、気球連隊、戦車学校、高射学校など、実に様々な施設があったことに驚く。

鉄道連隊

荒木山 満州事変で戦死した荒木大尉を祀る

綿打池のほとりに、小高い丘がある。 連隊のラッパ手の訓練が行われ、「喇叭山(らっぱやま)」と呼ばれていたそうだ。 しかし満州事変で戦死した荒木大尉を悼み、鉄道第一連隊の兵たちにより 銅像が建てられ、以降「荒木山」と呼ばれるようになった。

荒木山

銅像は戦時中の物資窮乏の時局を迎え、姿を消してしまった。 現在は荒木山の由来・解説を記した碑が残っている。

荒木山

荒木大尉とは

鉄道第一連隊に所属していた「荒木克業」中尉(死後大尉)である。
満州事変で大興安嶺という地で戦闘が勃発し、敵が石を満載した列車を自軍の列車めがけて放った。 荒木中尉は列車を後退させ、線路に脱線機を装着。 一人残って装着具合の確認をしていたが退避が遅れ、脱線して飛散した大量の石の下敷きとなり戦死。 この荒木中尉の活躍は軍神と称えられ、「工兵の歌」の7番の歌詞に歌われているそうだ。

巨大なモノリス ? 架橋演習の橋脚跡

高さ4m、巾5m、奥行2mという、映画「2001年宇宙の旅」に出てくるモノリスのようなコンクリート製の橋脚。 架橋演習に使われた。

訓練用橋脚 訓練用橋脚

長さ5.5mのトンネル 隧道(トンネル)工事跡

高さ6m、幅6m、奥行5.5mのトンネル工事演習に使用した、コンクリート製の短いトンネル。 まるで巨大な土管のようである。

訓練用トンネル 訓練用トンネル 鉄道連隊

鉄道連隊 習志野演習線跡を歩く(花見川団地~津田沼)

千葉の鉄道第一連隊から、津田沼の第二連隊間に敷設された習志野演習線。 千葉市の花見川団地付近から演習線の跡地が残り、津田沼まで遊歩道として整備されているので歩いてみることにした。

花見川団地付近

花見川団地付近から巾広い植樹帯が現れる。 2車線道路と同じくらいの広さを持ち、更に道が作られ、どう見ても不自然である。 この植樹帯が演習線跡と思われる。

演習線跡

道幅は京成線のガードで、いったん絞られている。

京成線ガード

遊歩道に変わった演習線跡地  習志野ハミングロード

京成線のガードを越えると、千葉市から習志野市へ入る。 ”ハミングロード”と書かれたアーチが迎えてくれるが、演習線の軌道跡が遊歩道として津田沼まで整備されている。

習志野演習線跡

習志野市が演習線の軌道敷地跡を国から借り受け、全長11.67Kmに及ぶ自転車・歩行者専用道路として整備した。 大きな桜の並木が続き、春には見事な桜並木が見られそうである。

習志野演習線跡

京成大久保駅付近に鉄道連隊演習線跡の説明版があり、そこにあった路線図である。 右側の京成線と交わっている所が、3つほど上の京成線ガードの写真である。

鉄道連隊演習線

京成大久保駅付近の演習線跡の遊歩道。

習志野演習線跡

習志野市鷺沼台付近で幹線道路から外れ、習志野警察署の裏側へと路線跡は続く。

習志野演習線跡

やがてJR総武線にぶつかり、演習線跡はJR線路へ吸収されてしまう。

習志野演習線跡

JR津田沼駅近辺の鉄道第二連隊の名残り

演習線跡から一般道に戻り、JR津田沼駅を目指す。 JR津田沼駅手前の新京成電鉄・新津田沼駅や、ヨーカ堂、イオンなどの場所は、かつては鉄道第二連隊の一部である。 またJR線を挟んで反対側に広がる習志野文化ホールや千葉工大も鉄道第二連隊の敷地であった。

鉄道連隊で活躍したK2形蒸気機関車が残る

津田沼のイトーヨーカ堂前にある小さな公園に、鉄道連隊で訓練用に使用された「K2形蒸気機関車134号」が展示されている。

戦後西武鉄道に払い下げられ、その後ユネスコ村に展示。 更にユネスコ村が閉園になった時に譲り受け、鉄道連隊ゆかりの地に展示されたそうである。

K2形蒸気機関車

調べると川崎重工が設計・製造し、47両が製造され、10両は満州に送られたとのこと。

K2形蒸気機関車

K2形蒸気機関車

大学の門となった鉄道第二連隊兵舎の表門

JR津田沼駅の南口に廻り、千葉工業大学の通用門に向かう。 赤レンガで出来た通用門は、鉄道第二連隊兵舎の表門であった。 鉄道第二連隊施設の建造物としては唯一残る遺構であり、国登録有形文化財に指定されている。

旧鉄道連隊表門 旧鉄道連隊表門

習志野市のHPに、昔日の鉄道連隊の写真が掲載されていたので借用させてもらった。 2両のK2型蒸気機関車を背中合わせに連結している。

陸軍鉄道連隊

こちらの写真には、鉄道連隊の表門が写っている。 絵葉書だそうだ。

陸軍鉄道連隊

鉄道連隊演習線・松戸線は新京成電鉄へ

演習線の習志野線とは別に、津田沼から常磐線の松戸までを結ぶ演習線(松戸線)があった。 戦後京成電鉄に払い下げられ、鉄道運営を子会社に任せて始まったのが、現在の新京成電鉄である。

鉄道連隊の演習線は、様々な状況を想定して線路を右に左に曲げて敷設している。 これが新京成電鉄にカーブが多い由縁である。 車で県道57号を鎌ヶ谷大仏から松戸に向けて走ると、 鎌ヶ谷から五香までの直線で4Kmほどの間に、踏切が4回も現れる。

 

コロナ渦で2度目の非常事態宣言の中、あまり遠くに出かけることができないので、健康維持を兼ねて歩いてみた。 花見川団地からJR津田沼までの演習線跡の距離は約8Kmほど。 中山道を歩くときに比べると距離は短いが、適度な距離であった。

 


タイトルとURLをコピーしました