大阪城 豊臣秀頼・淀君自刃の地と機銃掃射痕

大阪城

2017年3月12日~13日

東洋陶磁美術館、藤田美術館とはしごしたが、ホテルに行くには時間が早いので、更に大阪城へ足を伸ばすこととした。

転勤で大阪に2年ほど住んでいたが、大阪城を訪れることはなかった。 東京でいえば、東京タワーとか二重橋のような、近くて遠い観光地のような気がする。

私も妻も、中学か高校の修学旅行以来の大阪城であるが、昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」を見ていたので、多少興味を持って見ることが出来た。

 

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大阪城へ

大阪ビジネスパークを抜け、大阪城ホール近くの青屋門から入城する。

青屋門

江戸城に残る大手門や桜田門などの城門に比べると、少し小さな櫓門である。

青屋門

豊臣家滅亡の地

内堀に架かる極楽橋を渡り、本丸へと進む。

極楽橋

山里門跡から左に進むと、「豊臣秀頼・淀君自刃の地」の碑が立つ。

秀頼・淀君自刃の地

豊臣秀頼とその母・淀君、および臣下の武将や侍女たち30余名が、大坂夏の陣で自決した場所だという。 実際には、最後の場所は特定されていないそうだ。 豊臣時代の大阪城は、徳川により地中に埋められた為、特定は難しいのであろう。

秀頼享年23歳、淀君は50歳と云われている。 またこの時に、真田幸村の嫡男・真田大助も殉死している。 どのような思いで自刃したのであろうか。 合掌・・・

石垣に残る機銃掃射の痕

山里曲輪に上がる階段脇の石垣に、太平洋戦争中に受けた機銃掃射の弾痕が残る。 説明版も立つが、天守閣に向かうルートから僅かに外れるため、この傷跡を見る人は少ないようである。

機銃掃射痕

天守閣に登ってみる

せっかく来たのだから、天守閣に上がってみた。 エレベータ前には大勢が並び、並ぶのを避けて階段を利用した。 階段で上る人は少ない様で、がら空きだった。

天守閣内部

天守閣から生駒山方向を眺める。 大阪に転勤していた時、生駒山を越えた「東生駒」に住んでいたので、大阪に来ると生駒山を探してしまう。

天守閣からの眺め

豊臣時代の大阪城石垣を発見!

NHKのブラタモリで、豊臣時代の大阪城石垣を紹介していた。 しかしこれは非公開。 発掘場所らしきところを覗いたが、何もなかった。 しかし大阪城を出て、京阪電鉄の天満橋駅に向かう途中に、発掘された石垣が移築復元されていた。

豊臣時代の石垣

説明版によると、豊臣時代の大阪城三の丸の石垣の一部で、地表から2mの深さから出土したそうだ。 野面積みなのか、石垣としては余り美しくない。

三井ガーデンホテル大阪プレミア

大阪城を終え、天満橋から京阪に乗りホテルに向かう。 泊まったホテルは、中の島にある「三井ガーデンホテル大阪プレミア」である。

三井ガーデンホテル

普通のツインより、少し広めの部屋を予約。 フローリングの床や、バスルームとトイレが分かれている。 また朝食のバイキングも種類豊富で、なかなか良いホテルであった。

三井ガーデンホテル

美々卯でうどんすき

ホテルで一休みした後、夕飯としてうどんすきを食べに美々卯に出かける。

美々卯
うどんすき

 

こうして大阪の一日目は終了した。 新大阪に11時頃到着し、それから二つの美術館と大阪城を訪れたが、さすがに疲れた。 明日は京都で再び美術館へ行って帰京する予定である。 体力を回復させるため早めにベッドに入ったら、速攻で夢の中へと落ち込んでいった。

 


 

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