旅行日:2014年10月29日
桶川を過ぎたあたりから、自転車で中山道を進むことを考えていた。 しかし前回桶川まで輪行した時、朝早くに関わらず下り電車が混んでいた。 土曜日や休日なら良いのだろうが、高崎線の平日に自転車を持ち込むのは、ちょっと迷惑を掛けすぎる。
そんな訳で、再び歩いて街道を進むことにした。 またこの季節は日も短いので、早めに歩き終えることにして、1日に1宿分だけ歩を進めることにした。 江戸時代の人達のように、もっと朝起きして家を出ればよいのだが、どうも私はナマケモノなので・・・
日 付 | 区 間 | 里程表 | 実距離 | 万歩計 | ルート | ||
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2014年 10月29日 |
熊谷から深谷宿 | 2里27町 | 10.8Km | 11.9KM | 19,328歩 | Map | |
合 計 | 2里27町 | 10.8Km | 11.9Km | 19,328歩 | |||
日本橋からの累計 (累計日数 : 6日目) |
19里5町 | 75.2Km | 82.7Km | 105,458歩 |
里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。
(ルートラボ → ルートを見る → “のんびり中山道”で検索)
深谷宿を目指す
9時半過ぎに熊谷駅に到着。 トイレを済ませ、身支度整え、筑波交差点から歩き出す。
店舗内を旧中山道が通る八木橋百貨店は、開店直後でお客はまだ少ない。 店員から「いらっしゃいませぇ~」と声を掛けられながら、店内の旧街道をすすむ。
【八木橋百貨店出口】
八木橋百貨店西側出口にある中山道の碑。 熊谷宿の京方出口である。
【商店街を進む】
百貨店を出ると、目の前の一番街と書かれた商店街に入る。
【秩父道標】
秩父往還と中山道の分岐点に建つ。
「ちゝふ(秩父)道、志まふ(四萬部寺)へ十一(里)」とある。 四萬部寺は秩父巡礼の礼所1番で、巡礼は先ずここを目指した。「宝登山道」の碑も建つ。
【新島一里塚】
日本橋から17里。 それにしても無残な姿である。
平成22年9月の雷雨で折れたようだ。 さぞかし立派な欅だったのだろう。
【秋の実り】
農家の軒先に、干し柿がたくさん吊るされていた。
【街道風景】
【見返りの松】
深谷宿で一晩共にした飯盛女との別れを惜しんだ「見返りの松」。
先代の松は枯れ死したので、現在は2代目だそうだ。
深谷宿に入る
【常夜灯】
深谷宿入口(江戸口)に立つ常夜灯。
【和洋折衷の家】
昭和恐慌時、深谷町長の大谷氏がお助け普請で建てた。
【だいまさ米店】
江戸時代から続く店で、敷地の裏手には蔵が建ち並ぶ。
【古い蔵】
「なんでも鑑定団」に出るようなお宝が眠っているのか?
【深谷宿本陣跡】
本陣1、脇本陣4、旅籠は80軒あり、旅籠の数は草津・大津を除いて中山道最大だった。
深谷宿の街並み
深谷駅入口となる仲町交差点を過ぎると、連子格子や土蔵のある家が何軒か残っている。 また造り酒屋などもあり、街道風情が盛り上がる。
【古い民家】
ガラス戸を通して見る景色は、少し歪んで見えることだろう。
【3階建ての蔵】
深谷信用組合倉庫の解体レンガを再利用して、昭和8年に建てられた。
【塚本商店】
レンガの卯建が、1階から2階まで立つ。
【連子格子】
宿場当時は旅籠だったのか?
【旧田中籐左衛門商店】
「七ツ梅」の看板を掲げる、1716年創業の造り酒屋。
平成 16 年に廃業し 300 年の歴史を閉じた。 残念・・・
【滝澤酒造】
杉玉が下がる、銘酒「菊泉」の蔵元。
滝澤酒造のレンガ煙突には、戦争中の機銃掃射の跡が残るそうだ。
【JR深谷駅】
コンクリートに赤レンガ風タイルを貼った「東京駅風駅舎」。 深谷市出身の渋沢栄一が設立した日本煉瓦製造のレンガを用いて、東京駅丸の内駅舎や多くの近代建築が建てられたそうだ。
深谷といえば「深谷ネギ」が有名だが、実はレンガに深いゆかりのある街だそうである。
桶川と同じように、街道の雰囲気を数多く残す街であった。 また遠くにあった赤城山も少しずつ近づき、これから先がますます楽しみになる。
滝澤酒造でお土産に日本酒を一本購入し、担いで帰路についた。