旅行日:2014年10月17日
桶川まで来るとだいぶ郊外らしくなってきたので、今回は桶川まで輪行して、自転車で熊谷か深谷を目指すこととした。
朝5時半過ぎに自宅の最寄駅を出発し、大宮で高崎線乗り換えは7時頃。 通勤ラッシュ直前で、下り線だから空いていると思っていたが大間違い。 通学の高校生や、熊谷や高崎方面へのサラリーマンで一杯。 結構混んでる電車に大きな輪行バックを担いで、人に迷惑をかけながら桶川へなんとか到着した。
自転車で颯爽と中山道を走るのも良いが、街道風景を楽しみながら、なるべくのんびりと走ることとする。
日 付 | 区 間 | 里程表 | 実距離 | 万歩計 | ルート | ||
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2014年 10月7日 |
桶川宿から鴻巣宿 | 1里30町 | 7.2Km | 8.3KM | 自転車 | Map | |
鴻巣宿から熊谷宿 | 4里6町 | 16.4Km | 15.6KM | ||||
合 計 | 6里 | 23.6Km | 23.9Km | — | |||
日本橋からの累計 (累計日数 : 5日目) |
16里14町 | 64.4Km | 70.8Km | 86,130歩 |
里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。
(ルートラボ → ルートを見る → “のんびり中山道”で検索)
上尾から桶川へ
桶川駅に7時20分に到着し、駅前で自転車を組み上げホッと一息。 のんびり朝食を食べていたら9時になってしまった。
【桶川一里塚跡】
歩道橋の橋脚に付けられた桶川一里塚跡の説明。
日本橋から10里の場所にあり、明治9年に取り壊されたそうだ。
【桶川宿木戸跡】
桶川の古い街並みを眺めながら進むと、やがて上の木戸跡が現れる。
桶川宿の京側出口である。
北 本 宿
北本市に入り、本宿交差点に「中山道北本宿」の碑と案内板が立つ。
案内板によると北本には旅籠等はなく、本宿村の下茶屋と東間村の三軒茶屋に立場(休憩所)が置かれていたと記されている。
【多聞寺】
羽子板の羽の玉に使われる実が採れるムクロジの樹がある。
境内に立つ大きな木がムクロジのようだ。
【原馬室一里塚】
北本の駅を過ぎ、街道を左折して古中山道と言われる道を高崎線沿いに歩く。
「原馬室一里塚」の西塚が残り、東塚は高崎線敷設時に取り壊されたそうだ。
鴻 巣 宿
【鴻巣市に入る】
鴻巣の街に入ると人形の看板が目につくようになる。 鴻巣市のHPによると、鴻巣雛は380年の伝統を持ち、関東三大ひな市(鴻巣・越谷・江戸十軒店)のひとつに数えられ、江戸のひな職人たちは競って鴻巣に修行にやってきたそうである。
雰囲気の良い古い建物も増えてくる。
【鴻巣宿石碑】
「是よりこうのす宿」とある石柱。 鴻巣宿の入口(江戸方)である。
【 お爺さんの話 】
ここで写真を撮っていたら、散歩に来たお爺さんが声を掛けてきた。 「中山道を歩いている」と話したら、いろいろと話をしてくれた。お爺さんの話によると、「鴻巣宿の木戸はもう少し東京側にあったが、この石碑は道路工事でここに移された。 自分が子供の頃、道路沿いの家は昔の建物ばかりで、石仏などもたくさんあったが、今は昔の面影は無くなってしまった。」と話してくれた。
古い商家や民家が何軒か残る。
【勝願寺】
真田信之(幸村の兄)の正室であった小松姫の墓(右)がある。
江戸で病に罹り、草津へ湯治に向かう途中、鴻巣で没したという。
信之三男・真田信重の墓(中)、信州小諸城主・千石秀久の墓(左)が並ぶ。
【鴻巣宿本陣跡】
【歩道の敷石】
鴻巣駅を過ぎると、歩道にはコウノトリの敷石が埋められている。
【鴻神社】
境内には2本の銀杏の巨木が枝を広げている。
【 鴻巣の地名 】
鴻神社に「鴻巣」の地名の由来が書かれた案内板が立っていた。「その昔この地に“樹の神”といわれる大樹があり、人々は供え物をして樹神の難を避けていた。 ある時コウノトリがこの木の枝に巣を作ったところ、大蛇が現れてその卵を飲み込もうとしたので、コウノトリは大蛇をくちばしでつついて殺してしまった。 それ以後樹神が人々を害することがなくなり、この地を鴻巣と呼び、社を鴻の宮と呼ぶようになった。」(鴻巣市教育委員会)
桶川の駅を出発してすぐに気付いたのだが、結構向かい風が強い。 それも少しずつ強さを増しているようだ。 向かい風にめげずに先に進む。