旅行日:2022年11月28日~29日
伊豆長岡の願成就院には、運慶作の仏像が5体あることを以前から知っていて、一度見にいきたいと思っていた。
仏像があることは知っていても、「北条義時って誰よ?」というくらい、鎌倉幕府成立時のことは不勉強で、源頼朝や実朝は知っていても、「北条」といえば「北条政子」しか名を知らなかった。
そこにNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映され、いろいろ勉強させてもらった。 こうなったら伊豆長岡を訪れ、北条一族ゆかりの地をめぐりながら運慶の仏像に会いに行くしかない・・・
実際には、今年の夏に横須賀美術館で開催された「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」展を見に行ったことが、伊豆まで足を伸ばすきっかけである。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」展 はこちら ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
史跡めぐりだけでなく、全国旅行支援という嬉しい制度を利用して、修善寺で温泉に浸かってプレ忘年会でも楽しもうと、1泊2日の温泉旅行である。
北條寺 大蛇に飲み込まれた北条義時の息子
NHKドラマでは、小栗旬が演じる鎌倉幕府二代執権・北条義時が創建したという北條寺。 義時の嫡子である安千代が大蛇に飲み込まれて命を失い、その菩提を弔うために建てたという。
安千代って誰? 母親は? 人を飲み込むほどの大蛇、アナコンダが伊豆にいたのか??
この北條寺には義時の墓がある。
説明版によると、右が義時で左は”後妻佐伯氏娘”とある。 後妻というと「伊賀の方」、つまり大河ドラマの「のえ」だろう。
「のえ」は義時死後に「伊賀氏の変」を起こし、伊豆のこの地に流されたというが、義時と並んで眠っている。
北条義時館跡と地震動の擦痕
北條寺近くに義時の館跡がある。 現在は公園となり、その一角に小さな石碑と説明版が立つ。 それより目立つのが「地震動の擦痕」の大きな看板。
1930年11月26日に、M7.3という北伊豆大地震が発生。 この時 旧江間小学校校庭に展示されていた魚雷がすべり、台座によるひっかき傷が残ったという。 現在もすぐ横の小屋に、傷ついたままの魚雷が展示されている。
しかし 何故こんな所に魚雷が・・・ ?
願成就院と運慶仏にご対面
念願の運慶仏とのご対面に願成就院へ。
大河ドラマもいよいよ大詰めのクライマックス。 人気が高いのか、観光バスの団体ツアーも訪れていた。
大御堂に入ると、阿弥陀如来像と毘沙門天像、不動明王と二童子立像の国宝5体が並ぶ。
今年8月に横須賀美術館で開催された「鎌倉幕府と三浦一族 運慶」展には、横須賀市の浄楽寺蔵の毘沙門天像が出展されたが、この2体を並べてみた。
左が願成就院の毘沙門天像で、北条時政の依頼により制作されたもの。 右が浄楽寺の毘沙門天像で、NHK大河ドラマで髭面の和田義盛が、北条に対抗して制作を依頼したという。
写真は両寺のサイトより借用させてもらったが、圧倒的な迫力と力強さが溢れ出て、思わず息を飲む姿である。
北条時政の墓
願成就院は源頼朝の奥州藤原氏征伐の戦勝を祈願して、鎌倉幕府初代執権となる北条時政が建立した。 そして頼朝の死後、将軍実朝を廃し、娘婿を将軍に据えることを画策して失敗。 伊豆に追放され、この地で没した。
北条政子 産湯の井戸
北条政子の「産湯の井戸」という伝承から、安産に御利益があるとして近年まで妊婦が飲んでいたという。
「産湯の井戸」は全国各地にあり、豊臣秀吉や徳川家康、明智光秀などさまざまである。 出生地近くにある適当な井戸に名が付けられたものだろう。
真珠院 あの新垣結衣が演じた八重姫入水の地
NHK大河ドラマで、新垣結衣が演じた八重姫。 ドラマの中では義時に口説かれて結婚していた。 しかし史実はドラマとは異なるようだ。
境内には八重姫を供養する八重姫御堂(静堂)がある。
八重姫が入水したとき、「せめて梯子があれば救うことができた」 ということから、 八重姫御堂には小さな梯子が奉納されている。
寺の前を流れる川には、「八重姫入水の地」の説明版が立つ。
説明版によると、頼朝との恋に破れた八重姫が真珠ヶ淵の渦巻く流れに身を投げたという。 どこにも北条義時と結ばれたなどは書かれていなかった。
身を投げたという川。 往時は狩野川が流れ、長い年月で流路を変えたという。 現在は古川という細い川に姿を変え、身を投げると泥に埋もれて窒息死しそうだ。
源頼家の墓 首の代わりに大事な所を・・・
この日の宿がある修善寺へ。 修善寺は2代将軍源頼家が幽閉された場所である。 おそらく温泉に入ってリラックスしている所を刺客に襲われ、首に縄を掛けられ、フグリを切り取られるという惨い死に方をしたようだ。 「いっ、いっ…た、ぁあ、あぁ…!!」 享年23才。
墓の隣には、頼家の冥福を祈って北条政子が建立したという指月殿が建つ。
修善寺 竹林の小径と独鈷の湯
修善寺の温泉街をぶらりと散歩する。 河原に立つ独鈷の湯は、足湯も禁止されているようだが、結構な人数が足を浸けていた。
ねの湯 対山荘
今回の宿泊は「ねの湯対山荘」 全11室という小さな宿である。
通された部屋はメゾネット。 2階の居間から階段で1階の寝室へ。 面白い造りだが、それぞれの部屋が狭く感じたことと、窓が無かったことが残念であった。 やはり広々した感じの部屋の方が良い。
お風呂は少し狭く、露天風呂のほうが気持ち良かった。
夕食は地ビールや日本酒熱燗で美味しい料理に舌鼓を打ち、少々早いが第一回忘年会を楽しんだ。
修善寺自然公園 もみじ林の紅葉
一夜明けた翌日、修善寺自然公園のもみじ林が紅葉で綺麗だと聞き立ち寄ってみた。
紅葉の中を富士山が見えるという展望台まで歩いたが、残念ながら富士山の片鱗も見ることは出来なかった。
三島大社 源頼朝・北条政子腰掛石
帰路に就く途中、三島大社に立ち寄る。 ここには源頼朝が源氏再興祈願のため、百日間の日参をした時に休んだといわれる石がある。 左に頼朝が座り、右の小さな石に北条政子が座ったという。
石の形は出来過ぎで、背もたれまでついている。 どうも嘘っぽい・・・
沼津漁港で海鮮丼
美味しい干物を買って帰ろうと、三島大社から柿田川湧水群を経由して沼津漁港を目指す。
魚の干物だけではなく、こんなものまで売っていた。 美味そうだ!
せっかくなので昼食は海鮮丼。 「五鉄」という店に入り、妻は壱鉄(左、本日の鮮魚)、私は海鮮丼(右)を注文。
半分ほど食べたら、残り半分に金目鯛の出し汁を掛け「まご茶漬け」にして〆る。 まさに1杯で2度美味しい一品であった。
食事を終えて店を出ると、結構な雨が降り始めていた。 帰りの東名高速では、御殿場付近で前も見えないほどの酷い雨で、ソロリソロリと安全運転。
こうして北条一族ゆかりの地をめぐる旅を終えたが、「鎌倉殿の13人」を見ていたおかげで、結構面白い史跡めぐりを行うことができた。
来年の大河ドラマは徳川家康で、静岡駿府城が舞台のようである。 来年の今頃は静岡を旅するのか? それより「旧東海道歩き旅」が小田原で中断しているので、なんとか箱根を越えて静岡目指して頑張ってみよう。