小松姫 孫の顔を見に来た義父・真田昌幸を追い返した嫁

NHKの大河ドラマ「真田丸」で、吉田羊が演じた小松姫。 真田幸村の兄で、後に松代藩初代藩主となった真田信之の正室である。 強くて美しい女性だったそうで、いくつかの有名なエピソードが現在に伝わる。 中山道の鴻巣宿にある「勝願寺」に、小松姫は三男である真田重信と並んで眠っていた。

  • 墓 所 : 勝願寺
  • 所在地 : 埼玉県鴻巣市本町8丁目
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勝願寺

旧中山道を江戸方面から歩き、JR高崎線の鴻巣駅手前に「勝願寺」がある。 鎌倉幕府の頃に創建され、また徳川家康が鷹狩りで勝願寺を訪れた際に、”三ッ葉葵”を寺紋とすることを許されたという由緒ある寺である。

仁王門は明治期に焼失、その後再建された。 この仁王門に立つ仁王像は、秩父の三峰神社から贈られたそうだ。

勝願寺

小松姫の墓

上田合戦で真田昌幸に苦しめられた徳川家康は、真田家を陣営に引き込むことを目的に、徳川四天王と呼ばれた本田忠勝の娘である小松姫を養女として真田信之に嫁がせた。

その小松姫は面白いエピソードを残しているが、病気療養のため草津温泉に向かう途中、この鴻巣で没した。 元和6年(1620) 享年48。

小松姫

一番右が小松姫の墓、左隣の小さな墓は三男の真田信重、さらに左の大きな墓は、真田信重の正室、そして一番奥の小さな墓は 信州小諸城主・千石秀久である。

説明版を見ると、小松姫の三男・真田信重の死後、わずか1年後に正室も後を追うように亡くなっている。 しかし墓の大きさの違いはどうしたことか???

小松姫 真田一族

エピソード(1) 武士の髷をわしづかみ!

戦国時代の嫁入りは、当時は政略結婚。 親が結婚相手を決めていたが、小松姫は「結婚相手は自分で決める!」と言い放ったそうだ。 それを聞いた家康は、「これは面白い!」と、家臣や大名の子息など婿候補を集め、小松姫に婿選びをさせたそうだ。

家康や小松姫の父親である本田忠勝の見守る中、小松姫は頭を下げてひれ伏す婿候補たちの髷をむんずと掴み、顔を上向かせて顔を見る振る舞いに出た。

家康や忠勝の前のため、恐れ多くて何も言えない武士たち。 小松姫が次々と顔を上向かせながら進む中、「無礼であろう!」と小松姫の手を扇で打ち据えた武士がいた。 これが真田信之である。

小松姫は理不尽に立ち向かう勇気と気骨ある男を探していたのだろう。 しかしこの話は面白いができすぎ・・・ いくら家康の前といえども、このようなことが許されたとは思えない。

エピソード(2) 孫の顔見に来た義理の父を追い返した

関ケ原の直前、石田三成が挙兵した時、真田親子は父の真田昌幸と次男の信繫(幸村)は西軍に、そして小松姫の夫・真田信之は東軍につくことを決めた。 有名な「犬伏の別れ」である。

真田昌幸は陣を引き上げて上田城に戻る途中、信之の城である沼田城に立ち寄った。 その時の出来事であるが、NHK大河ドラマでは真田昌幸を草刈正雄、小松姫を吉田羊が演じたシーンである。

真田昌幸:「お~ぃ姫! ワシじゃ、ワシ! 門を開けとくれ~ぇ」
小松姫 :「城主不在のため、門を開けることは叶いませぬ!」
真田昌幸:「何ゆぅ~ちゅんねん、おぬしの父じゃ!」
小松姫 :「例え父上でもなりませぬ! お引き取り願います!」
真田昌幸:「ちょっとでよいから、孫の顔見せてくれや・・・」
小松姫 :「ダメったら、ダメッちゅーの!」
真田昌幸:「何ちゅぅ嫁じゃ、鬼嫁め! トホホ・・・」

こんな感じでやり取りされたようだが、その後の小松姫の対応がまさに神対応である。 締め出した真田昌幸と信繁(幸村)を正覚寺でもてなしたうえ、孫を連れて自ら挨拶に出向き、先ほどの無礼を詫びたという。

どこまで本当か?だが、まさに戦国の世の武士の妻。 聡明さと凛とした美しさを兼ね備えた才女をイメージさせる。 夫の真田信之は、小松姫の死を知らされた時、「我が家の灯りが消えたり」と嘆いたという。

 

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