幕末に活躍した新撰組局長の近藤勇と、鬼の副長といわれた土方歳三が、JR埼京線の板橋駅前で仲良く眠っている。
実際には新撰組で生き残った永倉新八が建てた供養塔で、近藤・土方以外に、殉死した新撰組隊士たちの名も刻まれている。
「近藤勇と土方歳三」の墓
墓 所 | JR埼京線 板橋駅前 |
所在地 | 東京都北区滝野川(地図) |
街 道 | 中山道 日本橋~板橋宿間 |
近藤 勇
言わずと知れた新撰組。 幕末の京都で「誠」の一文字を背中にしょって街中を闊歩した剣豪集団である。
この新撰組を率いた近藤勇は、百姓から幕臣へと取り立てられ、御目見得以上という大出世を成し遂げたのである。
天然理心流の使い手であったが、既に世は鉄砲の時代。 刀振り回しても、官軍の鉄砲に勝てる訳はなく、鳥羽伏見の戦いで敗走。(近藤勇は怪我の為、鳥羽伏見の戦いには参戦していないのだが・・・)
敗走を重ねて千葉の流山へ。 そこで土方歳三と別れて官軍に投降するも、板橋の刑場で斬首。 享年35歳であった。
首は焼酎に浸けられて京に運ばれ、三条河原に晒された。 そして胴が埋葬されたと伝わる場所に、永倉新八が発起人となり供養塔を建てた。
左の四角い石碑は永倉新八の墓。 正面の細い石塔が近藤と土方の供養塔である。
細い石塔の表面には、近藤勇と土方歳三の名が刻まれている。
土方歳三
「我この柵にありて、退く者を斬る!」 これは函館戦争にて、敗走する味方に対して土方が馬上から叱咤激励した言葉。 まさに「鬼の副長」と呼ばれるにふさわしい鼓舞の方法である。
土方歳三の人気を決定づけたのは、この写真だろう(Wikipediaより借用)。
洋装で豊かな髪をオールバックにまとめ、緊張感と凛々しさを漂わせている。 しかし表情をみると、盟友・近藤勇を失った悲しみか、あるいは戦いの情勢を憂いているかのようでもある。
しかし明治初期とは思えない洗練された雰囲気があり、女性に人気があることが頷ける写真である。
千葉の流山で近藤勇と別れた後、宇都宮や仙台などで戦いながら北海道に渡った。 そして函館での官軍との戦いの最中に、馬上で銃弾に倒れて討死。 享年34歳。
ちなみに 函館での戦いの最中に、小姓であった市村鉄之助という少年に「遺品を自分の生家に届けろ」という任務を与えている。 少年は無事に土方の生家に遺品を届けたそうで、上の写真も届けられた遺品の一部のようである。
土方歳三はどのような馬に乗っていたのか?
映画やテレビドラマで、戦国時代などの戦のシーンを見ると、足が長くて細いサラブレッドのような馬に乗った騎馬武者が出てくる。
土方歳三が、このような馬に乗って戦場を駆け巡り、指揮する姿は絵になる。 しかし 幕末の頃にサラブレッドのようなスマートな馬がいたのだろうか?
もし足が太くて短い道産子のような馬に乗り、トコトコ・トコトコ、パッコンパッコンと走っていたならば、まるで漫画である。 土方のイメージは相当崩れ去ってしまうことだろう。