旅行日 : 2019年3月4日~3月6日
福井の旅 最終日。 福井市内から足羽川上流へ10キロほど入り、狭い山間にある一乗谷を訪れる。 朝倉氏5代にわたる栄華の跡が、大規模な発掘調査により一部が復元されている。
一乗谷の武家屋敷は再現されたものなので、最初は行く気はなかった。 しかしNHKの「ブラタモリ」が訪れたのを見て、行ってみようと足を伸ばすことにした。
いざ一乗谷へ!
福井駅を出発
福井駅から九頭竜線で一乗谷を目指す。 地図を見ると「越美北線」となっており、「九頭竜線」は愛称だそうである。
一乗谷駅
駅前広場も何もない駅がポツンと立つ。
9時26分着の九頭竜湖方面行の電車で来たが、次は13時7分までない・・・
ブラタモリもやって来た
朝倉氏遺跡資料館に立ち寄ると、こんなポスターが張ってあった。
朝倉氏と一乗谷
柴田勝家以前の越前では、朝倉氏が一乗谷を拠点として5代にわたり栄えていた。
織田信長は、妹の「お市の方」の嫁ぎ先である「浅井長政」を討つため、北近江に進軍した。 この時 朝倉5代目当主・義景は浅井氏の援軍に駆け付けたが、信長軍に跳ね返され撤退。 信長軍がこれを追撃して朝倉義景を滅ぼし、一乗谷は焼き払われてしまった。
そして一乗谷の住人達は柴田勝家が築いた北ノ庄城下に移住し、一乗谷は田畑に埋もれてしまった。 そのため約400年前の遺跡は、荒れることなく残されたそうである。
のどかな道を行く
西山光照寺跡に残された石仏群。
道路脇には古い道標や、線刻磨崖仏のようなものもある。
集落の中には、水量豊かな用水路が走る。
下城戸(きど)
一乗谷の城下町は、上・下城戸で仕切られ、下城戸には巨石を積み上げた枡形が残っている。
平面復元地区
発掘された一乗谷城下町は、道路に沿って武家屋敷や寺、商人や職人が住む町屋などが並んでいたようである。
四角い枡は井戸の跡である。 どうも1軒に1つの井戸があったらしい。
スギ花粉の攻撃に会う
山に目を向けると、なんとスギ花粉が煙のごとく舞い上がっていた。 見ただけで花粉症になりそうだ!
立体復元地区
当時の武家屋敷も復元されている。 江戸時代の武家屋敷と異なり質素である。
当時は今以上に寒く、雪も深かったと思うが、冬の生活は厳しかったことだろう。
長い土壁が続き、往時の雰囲気が伝わってくる。
ソフトバンクCMでおなじみの、白戸家のお父さんの出身地は一乗谷だそうだ。
朝倉館跡
川を挟んだ対岸が朝倉館跡である。 堀に囲まれた朝倉館跡に足を踏み入れると、建物跡だけではなく、発掘された庭石による庭園も復元されている。
唐門
館跡の入口に立つ唐門。 義景の菩提を弔う松雲院の門だったそうである。
五代・義景公墓所
館跡には朝倉義景の墓所もあった。 福井藩主の松平光通が1663年に建立したそうで、もう一つ大野市にも義景の墓所があるそうだ。
B級グルメ「ソースかつ丼」で旅を締める
一乗谷の見学を終えて福井駅に戻ったが、帰路に着く前に昼飯を・・・と、福井のB級グルメ「ソースかつ丼」を選択した。
トロリとした卵のかつ丼の方が好きなのだが、このソースかつ丼はそこそこ美味しかった。 しかし見てのとおりカツしかないので飽きる!。
短い日数であったが、福井の旅は終了した。 最初の目的はカニを食べまくることであったが、それが達成した後は歴史旅となってしまった。
それにしても「北ノ庄」とか「一乗谷」とは、歴史を感じる名前に思える。 何も知らなければ単なる固有名詞である。 しかし歴史的背景を知ると、イメージが変わってくる。
一乗谷にぽつんと立つ唐門を見て歴史に思いを馳せると、平家の栄枯盛衰と同じような、もの悲しさを漂わせていると感じたのは私だけだろうか・・・