史跡巡り

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江戸城三十六見附

中雀門 石垣に無残な焼跡が残る

大手中之門をくぐると、江戸城本丸はもう近い。 しかし本丸の手前には、最後の門である「中雀門」が待ち構えている。 大手三の門、中之門を駕籠に乗ったまま通過を許された徳川御三家も、この門で駕籠を下り、徒歩で本丸へ入らねばならなかった。 ...
江戸城三十六見附

大手中之門 美しい石垣に圧倒される

徳川御三家を除く大名達は、大手三の門(下乗門)で駕籠を降り、その先は徒歩で登城した。 そして大手三の門の枡形を抜けて二の丸に入ると、広場の左に「百人番所」、右奥には巨大な「大手中之門」を目にしたことだろう。 江戸城の門の多くは、高...
百年の街並み

枝垂桜と武家屋敷の街 角館(秋田県)

訪問日:2017年6月28日 乳頭温泉に一泊して秋田駒ヶ岳に登った帰り、更に角館に一泊して武家屋敷を散策した。 時期は6月末なので、枝垂桜はすっかり葉桜であるが、観光客の少ない静かな角館を楽しむことが出来た。 角館の歴史を調べると、元和...
信 濃(信州)

中山道 第29宿 下諏訪宿 ユニークな造形「万治の石仏」

7年に1度行われる諏訪大社の御柱祭で、山出し最大の難所といわれる「木落し坂」を眺め、さらに諏訪大社から万治の石仏へと寄道して下諏訪宿に到着である。中山道の舞台は信州佐久側から諏訪側に移り、これからしばらくは中央線を利用した中山道歩きとなる。
江戸城三十六見附

大手三の門(下乗門) ここで駕籠を降ろされた

大名などの登城ルート、今風に言えば通勤路は、大手門と内桜田門(桔梗門)から入ると定められていた。 どちらの門から入城しても、「大手三の門」に至り、その後「中之門」、「中雀門」を経て本丸御殿へと入った。 下っ端の幕臣は、大手門外の下...
気まぐれ日記

都心で見つけた不思議な記号 「不」

東京駅八重洲口から外堀通りを日銀方向に歩くと、呉服橋交差点を越えた先に、一石橋が架かる。 この一石橋のたもとに「迷子しらせ石」が立っている。 以前にも訪れたことがあるが、再度訪れる機会があったので、もう一度良く眺めてみた。 そして...
江戸城三十六見附

大手門 江戸城の社員通用口?

大手門は江戸城の正門で、登城する諸大名は、この門から三の丸に入った。 江戸城に勤めるサラリーマンが出入りする、社員通用口みたいなものである。 しかし勅使や将軍もこの門を使ったようなので、やはりもっと格上の正面入り口だったのだろう。 ...
江戸城三十六見附

内桜田門(桔梗門) 太田道灌の家紋が残る

井伊直弼が暗殺された桜田門が「外桜田門」と呼ばれるのに対し、この門は「内桜田門」と呼ばれている。 太田道灌が築城の頃、この辺りには日比谷入江の波が打ち寄せていたようだ。 そこで太田道灌は「泊船亭」というものを造り、ここに道灌の家紋...
江戸城三十六見附

坂下門 「桜田門外の変」から2年後に・・・

江戸城西の丸の坂下にあったので、「坂下門」と呼ばれるようになったそうだ。 文久2年(1862)1月、老中・安藤信正が登城途中に、この坂下門の前で6名の水戸浪士に襲撃された。 さいわい一命は取りとめたが、老中は罷免された。 桜田門外...
江戸城三十六見附

西の丸玄関門 勘違いの多い二重橋

国賓来日時などに開かれる「皇居正門」(旧称:西の丸大手門)から入城し、右へUターンするように反転して「二重橋」を渡ると「西の丸玄関門」があった。 現在はどうなっているのか? 平民である私には無縁な門であり、外から見えないので良く判らない...
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