リスボン街歩き バイロ・アルト地区

リスボン
バイシャ地区の西側に、「高い地区」という意味を持つ”バイロ・アルト”や、”シアード”と呼ばれる地域が広がる。 バイシャ地区と同様に、1755年に起きたリスボン大地震後に再建された地区で、リスボンきっての繁華街である。

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バイロ・アルト地区へ

低地のバイシャと高台のバイロ・アルトは、サンタ・ジェスタのエレベータが結んでいる。 エレベータ前には観光客が多く並び、20分ほどの待ち時間であったが、日差しの強い中を徒歩で坂を登る気は起きなかった。

カルモ教会

サンタ・ジェスタのエレベータで上がり、バイロ・アルト地区に通じる連絡橋を渡るとカルモ教会の裏手に出た。 そこにはジャカランタの花が美しく咲き誇る、小さな広場があった。

ジャカランタの咲く広場

この広場前にあるカルモ教会の博物館では、ちょうど衛兵の交代が行われていた。

カルモ教会博物館

カルモ教会は1389年に建てられ、当時はリスボン最大の教会であった。 しかし1755年の大地震で倒壊し、現在も倒壊したままの状態で保存されている。

カルモ教会

ペソアの像

シアード地区のガレット通りを進むと、1905年創業の老舗カフェ「ブラジレイラ」の前に、ペソアというポルトガルの詩人の座像がある。 私はまったくこの詩人に関しては知らなかった。

老舗カフェ”ブラジレイラ”の前に建つペソア像

ペソアの像から少し進むとカモンイス広場が現れる。 カモンイスはポルトガルの国民的詩人だそうで、広場にはこの詩人の像が建つ。 恥ずかしながらこの名も初めて知った。

カモンイス広場

庶民的な店で一休み

観光客の多いカフェを避け、地元民御用達のような店で休憩をとる。 ポルトガルの国民食的菓子であるエッグタルトと、冷たい飲み物で一息つく。

街中のパン屋さん

ピカのケーブルカー

テージョ川の川面を背景に、狭い道をのんびり上り下りする黄色いケーブルカーは、リスボンを代表する風景であろう。 残念ながら黄色ではなく、落書き満載のケーブルカーであった。

ピカのケーブルカー

ケーブルカーで下ると、下側の乗り場は建物の中であった。

ピカのケーブルカー

リベイラ市場

ピカのケーブルカーで下に降りたついでに、リスボンの食を支えるリベイラ市場を訪れる。 時間が遅かったせいか大半の店は終了し、フードコートも閑散としていた。

リベイラ市場

サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台

ケーブルカーのグロリア線でバイロ・アルトの高台に上がると、右手にアルカンタラ展望台がある。 夕暮れ時には、正面のサン・ジョルジェ城が夕陽を受けてオレンジ色に輝く。

サン・ペドロ・デアルカンタラ展望台からの眺め

サン・ロケ教会

九州のキリシタン大名の大友宗麟の名代として、1582年に日本を出発した4人の少年からなる天正遣欧少年使節は、1584年にリスボン到着。 そしてこのサン・ロケ教会に1カ月ほど滞在したそうである。 年齢は13~14歳だったそうだが、もの凄いカルチャーショックだったことだろう。

サン・ロケ教会サン・ロケ教会

カルサダ・ド・ドゥケ通り

サン・ロケ教会横からロシオ駅へと下る階段の道がある。 この道は、夕刻になるとレストランが店開きして賑やかである。

カルサダ・ド・ドゥケ通り

 


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