中山道

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武 蔵(武州)

中山道 第8宿 熊谷宿 熊谷次郎直実の出身地

源平合戦の一の谷の戦いで、17歳の平敦盛を討ち取った熊谷次郎直実の出身地で、熊谷寺には直実の墓所がある。また市内の八木橋百貨店は旧中山道の上に建てられた。したがって現代の旅人は、百貨店の中を通って旅をするという変わった経験をすることができる。
武 蔵(武州)

中山道 第7宿 鴻巣宿 雛人形のふるさと

鴻巣宿は江戸時代から人形造りが盛んで、「鴻巣雛」とも呼ばれる伝統工芸品だそうだ。今でも人形店の管板を目につく。また街道沿いの勝願寺では、気丈な女性として多くの逸話が残る、真田信之(幸村の兄)の正室・小松姫のお墓をみることもできる。
武 蔵(武州)

中山道 第6宿 桶川宿 かつて紅花で栄えた街

桶川宿に入ると、ようやく街道の雰囲気を残す街並みが現れる。かつての桶川は紅花の栽培が盛んで、「紅花宿」とも呼ばれ、山形に次ぐ全国で2番目の生産量を誇っていたという。しかし明治期に入ると、化学染料の発達で衰退してしまった。
武 蔵(武州)

中山道 第5宿 上尾宿 屋根の上の鐘馗様

上尾宿に入ると、鐘馗様を屋根の上に飾る家を何軒か見ることができる。京都の町に多く見られるが、鐘馗様は鬼より強いので、向かいの家の鬼瓦に跳ね返された悪いものを、さらに跳ね返す力があるそうだ。街道歩きで鐘馗様を見つけると、何となく嬉しくなる。
武 蔵(武州)

中山道 第4宿 大宮宿 大宮氷川神社に寄道する

「大宮」の名前の由来ともなった武蔵一宮の氷川神社に寄道する。2400年以上の歴史を持つという、格式高い神社である。江戸時代初期には、この氷川神社の参道が中山道だったが、神域を避けるために街道は付け替えられたという。
雑学 中山道

針ヶ谷村の仇討ち その真相は如何に?

北浦和から与野に向けて旧中山道(県道164号)を進み、与野駅近くに来ると、車道側に「一本杉」と刻まれた簡素な石碑が立つ。 傍らに立つ説明版によると、「一本杉の仇討ち跡」と説明されていた。 この説明版を要約すると、下...
武 蔵(武州)

中山道 第3宿 浦和宿 狛兎が鎮座する調神社

浦和宿の手前に「調(つき)神社」がある。昔の税制である「租・庸・調」の調の集積場所で、「調」は「つき」とも読むそうだ。そのためか狛犬の代わりに兎が鎮座している。およそ2000年前の創建に遡るそうで、鳥居のない神社でも有名らしい。
武 蔵(武州)

中山道 第2宿 蕨宿 縁切り榎の迂回路へ

板橋宿の縁切り榎の説明版によると、「縁を切られる」ことを嫌って、嫁入りは迂回路を通ったそうだ。この迂回路を見ると、私が生まれ育ち、遊びの中心地を通っている。子供の頃の懐かしい思い出を辿りながら、この迂回路を通って蕨宿に向かう。
武 蔵(武州)

中山道 第1宿 板橋宿 お岩さんのお墓へ寄道

中山道最初の宿場である板橋宿。往時はこの宿場で中山道に出立する旅人と盃を交わし、旅の無事を祈って見送ったそうだ。この日本橋から板橋宿までの間は、八百屋お七、お岩さん、近藤勇などの墓巡りをしながらの歩き旅でもあった。
武 蔵(武州)

のんびり歩く中山道 いよいよ日本橋を出発

日本橋から京に向け、中山道を歩いて旅してみようと思い立った。どの程度の日数を要するかわからないが、沿道風景や旧跡などを楽しみながら、のんびり歩き旅の開始である。
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