2012年5月25日(金)
尾道側からのしまなみ海道第一歩は向島。 読み方は「むかいしま」が正しいようである。 僅か5分の船旅のため、海の上から尾道の街並みをゆっくり眺める暇もなく到着である。
島といっても、川のような尾道水道で隔てられているだけである。 向島の北岸には家や工場が多く建ち並ぶせいか、島の風情のような感じはあまりない。 東京でいえば多摩川や荒川の向こう側が、ちょっとひなびたローカルな街だった・・・ という感が否めない。
兼吉バス待合所
尾道渡船を下船すると、目の前に「兼吉バス待合所」と呼ばれる白い木造の建物がある。 一応観光スポットらしい。 「けんきち」と読むものだと思っていたが、正しくは「かねよし」と呼ぶそうだ。
「あした」という映画のロケセットを移築したそうだが、その映画は全く知らない・・・
観光協会や向島の方には申し訳ないが、映画も知らないので、建物を見ても「フ~ン!そうなんだ・・・」という感想しかなかった。
捕虜収容所跡
兼吉バス待合室から少し走ると、レトロ感溢れる、のこぎり屋根の赤レンガ壁がある。 現在は向島紡績であるが、太平洋戦争中は捕虜収容所だったそうである。
赤レンガの壁には、この捕虜収容所のあらましを記したプレートが貼られている。 これによると「第2次大戦中、日本国内に91箇所の捕虜収容所を設け、約3万6千人を収容していた。 この向島には米国や英国兵士216名が収容され、造船所での労働に従事し、終戦で解放されるまでの間に、23名が亡くなった」そうである。
それにしても、国内に91箇所もの捕虜収容所があったとは知らなかった。
閉まっていた吉原家住宅
寛永12年築(1935年)で、国の重要文化財に登録されている、日本最古の農家を訪れる為に島の中央部へ向かう。 「吉原家住宅」と呼ばれる農家の門に立ったが、閉まってる。 「時間が早すぎたか?」と思いながら再度ガイドブックを調べると、何と日曜・祭日しか公開していない。 「平日なのでやむ得ない・・」と、再度海辺目指して戻ることになった。
岩子島へ
吉原家住宅から県道377号に戻りしまなみ海道を進むと、向島の西側の海辺に出る。
尾道水道と同じように、川のように狭まった海の対岸は岩子島である。 この辺りまで来ると、瀬戸内ののどかさを感じることが出来る。 のんびり風景を眺めながら走ると、やがて赤い橋が見えてきた。
厳島神社の赤穂浪士
岩子島にある厳島神社へ足を伸ばす。 あの有名な広島の厳島神社と関係があるのだろう。 石灯篭が点在する白い砂浜にある参道を行くと、浜辺に赤い鳥居、海中にも石灯籠が立っている。
社殿と思われる建物に、ずらりと武者絵が掛けられている。 良く見ると赤穂浪士であった。 何故赤穂浪士なのか? 特に説明らしきものもなく、どの様な関係があるのか不明である。
歴史を感じる常夜灯
向島を走って気付いたが、古そうな常夜灯が島内に点々と残っている。 普通の住宅街の中に、また海辺の漁港などに、粗削りな石の灯篭が立っている。 何年頃に建てられたかはわからないが、かなり古そうである。 今でも灯りがともることがあるのだろうか?
東京や関東一円では、神社の灯篭はあるものの、このような街中の常夜灯は見た覚えがない。 そういえば、広島の鞆の浦の埋め立て問題のニュースで、鞆の浦に立つ常夜灯が良く映っていた。
因島大橋
岩子島から向島に戻り、海沿いに南下すると因島大橋が見えてくる。 橋は結構高いところに架かっているので、橋の上に出るには、山を登らないといけない。 しかし自転車用に設計されているせいか、長く傾斜の緩い坂になっている。