2012年5月26日(土)
旅館「茶梅」に一泊した翌日、見どころの一つである「大山祗(おおやまづみ)神社」を皮切りに、伯方島、大島を経て今治を目指す。
前日の夕飯で腹十二分目に魚を食べ、早々に布団に入ったせいか体調はすこぶる良し。 天候もまあまあで雨の心配なし。しまなみ海道後半のスタートである。
驚きの宝の山 日本総鎮守大山祗神社
旅館「茶梅」での朝食後、歩いて「大山祗神社」へ向かう。 この大山祗神社の歴史は古く、平安中期に書かれた「日本総鎮守大山積大明神」の神額があり、国の重要文化財になっているとのこと。
山の神、海の神、戦いの神を祀り、古くから武将達の崇拝を集め、数多くの武具が奉納されている。 日本の国宝や重要文化財に指定された武具の8割近くが、この大山祗神社にあるというから驚きである。 まさに宝の山、国宝の島である。
このような島が瀬戸内のどこかにあると聞いてはいたが、しまなみ海道を調べていて、この大三島であることを知った。 今回訪問を楽しみにしていた場所の一つである。
本物か!! 驚くべき武具・甲冑類
境内には樹齢2000年以上という、とてつもなく古い巨木が立っている。 Wikipediaによると、766年に記された「続日本紀」という書物に名が出てくるそうなので、相当古い神社である。
境内横にある国宝館を訪れる。 国宝が数多く集まっていると聞いていたが、まさかまさかの驚きであった。 歴史教科書やテレビの歴史物に出てくる、誰もが知っている有名人が奉納したという甲冑や刀がずらり。 本物か??と疑いたくなるものばかりであった。
もっとも驚いたのは、源義経が壇ノ浦の戦いで八艘飛びを行った時に、身に付けていた鎧である。 これ以外にも下のような品や、その他多くの奉納品が展示されていた。
- 源頼朝の鎧
- 木曽義仲の鎧
- 武蔵坊弁慶の薙刀
- 巴御前の薙刀
- 鎮西八郎為朝の弓
- 新田義貞の弟の薙刀
- 平重盛奉納の水瓶や蒔絵
宮浦の古い街並み
旅館「茶梅」を出発し、大山祗神社のお膝元である宮浦の街を走る。 もともと古い街で栄えていたのだろうが、少し痛んだ家並みが残る。 歴史にふさわしい街並みとして、何とか手入れして保存できればよいのだが・・・
瀬戸内のジャンヌダルク 鶴姫と阿奈波神社
宮浦の街から石灯籠が続く道を走ると、宮浦港へと導かれる。 更に宮浦港に沿って走ると、海中の岩に「鶴姫像」が座っている。
「鶴姫」とは、大山祗神社の大宮司の娘で、戦死した兄に代わり水軍の指揮をとり勝利に導いた女性で、瀬戸内のジャンヌダルクとも称されているらしい。 戦には勝利したが、兄も恋人もなくしたため、わずか18歳で自害したという悲しい伝説が残っている。
更に石灯籠沿いに岬の先端へ行くと「阿奈波神社」がある。 大山祇神社の摂社であり、「磐長姫命(いわながひめのみこと)」を祀っている。
宿の女将さんにこの「磐長姫命」の話を聞いたが、要するに女性の神であり、子宝に恵まれない女性や、花街で働く女性の病などに霊験があり、女性が下着や陽物を供える習わしがあるとのこと。
飾り気は無く質素なたたずまいで、「鶴姫」と共に静かな宮浦の港を見守る姿は、好印象であった。
さすがに神の島 みたらしの水
宮浦港から反時計回りに大三島を回り、途中51号線をショートカットして南側の海沿いに出る。 更に大三島橋を目指して走ると、「みたらしの水」との看板が・・・
「ガイドブックに出てたな」と思い、自転車を降りてガイドブックを見ていたら、近くを通ったおばさんが親切に教えてくれた。 「海水の中から真水が湧き出ている」そうである。 ガイドブックには、神様がみそぎをする為、真水を湧出させたと出ていた。 しかし見るほどのものではなかった。
もう一度来てみたい島だった
鼻栗瀬戸に架かる大三島橋を渡り、次の伯方島へ向かう。 大三島は「茶梅」の料理も美味かったが、「大漁」の海鮮丼を食べ逃したことが心残りである。 また大山祇神社の国宝館も、もう一度ゆっくりと見てみたい所である。
「元気なうちに、もう一度しまなみ海道を走ろう」と考えながら、伯方島の塩ラーメンを食べにペダルを回し続けたのであった。