旧街道

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武蔵(武州)

日本橋から千住宿へ

旅行日 : 2016年12月05日 仕事も一段落し比較的自由な時間が増えたが、冬の日が短い間は遠くて交通の不便な旧中山道を歩く気はしない。 季節が良くなったら再び中山道を歩くこととし、それまでの間に日光街道を歩こうと思いついた。 北風を正...
気まぐれ日記

街道歩きの道具(1) MERRELL(メレル)の靴

中山道を歩く際、普通のランニングシューズを履いて歩いていた。 通気は良いし、何より軽くて良い。 しかし靴底が減り、また碓氷峠を上った時、少し滑ったりしたので買い替えることにした。 選んだ靴は、以前から欲しいと思っていたMERRELL(メ...
雑学 中山道

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その3

京都を出発して25日目の文久元年(1861)11月15日、皇女和宮降嫁の大行列は、無事に江戸の清水御殿に到着した。 こうして中山道沿道の村々を巻き込んだ、和宮狂騒曲は幕を閉じた。 普通のドラマであれば、ここで大団円を迎え、すべてがめでた...
雑学 中山道

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その2

万延元年(1860)、皇女和宮の輿入れが決定。 婚姻相手は徳川14代将軍家茂(いえもち)である。 そして幕府によって、その準備が一斉に始められた。 翌 文久元年10月、和宮一行は中山道を下ることになるが、この中山道沿いの宿場などに幕府よ...
雑学 中山道

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その1

文久元年(1861)10月20日、沿道で行列をすべて見送るには丸四日を要したといわれる、超巨大な大行列が京都から江戸に向けて旅立った。 行列の中心人物は「和宮親子(ちかこ)内親王」。 徳川14代将軍家茂(いえもち)に嫁ぐための花嫁行列で...
信 濃(信州)

中山道 第26宿 芦田宿 蛇の足跡が残る「蛇石様」

笠松峠を控え、これから越える旅人、越えた旅人たちの休憩場所として栄え、皇女和宮もこの宿場で昼食をとっている。「蛇石様」と呼ばれる大きな石が残り、表面には蛇の通った跡といわれる筋が残る。蛇は好きではない。恐ろしや・・・
信 濃(信州)

中山道 間の宿 茂田井 白壁土蔵と酒林の静かな街道

望月宿手前の百沢集落の風景とは異なるが、白壁土蔵が続く茂田井の集落は、映画「たそがれ清兵衛」のロケ地にもなり、まるで江戸時代にタイムスリップしたような静かな時が流れている。白壁の土蔵は、武重本家酒造や大澤酒造など、杉玉を下げた造り酒屋である。
信 濃(信州)

中山道 第25宿 望月宿 瓜生坂と懸造りの弁財天

僅か200mほどの距離だが、旧街道の雰囲気を色濃く残した百沢集落を抜け、瓜生坂に向けて金山坂を上る。草付きの急坂である瓜生坂を下り、鹿曲川に出ると望月宿へ到着である。望月宿は意匠を凝らした出桁造りの家など、趣のある街並みであった。
信 濃(信州)

中山道 第24宿 八幡宿 重要文化財を持つ八幡神社

宿名の由来となった八幡神社が、宿場の入口に鎮座している。現在の八幡塾は宿場時代の面影は少なく、ひなびた街道という印象である。しかしこの立派な神社をみると、塩名田宿と同様に千曲川を渡る旅人などで賑わった様子が眼に浮かぶ。
信 濃(信州)

中山道 第23宿 塩名田宿 千曲川に残る舟つなぎ石

岩村田宿を抜けると、水田が広がり街道風情も増してきた佐久平を、八ヶ岳などを眺めながら気分よく歩くことができる。やがて塩名田宿に入ると、昔の屋号を掲げた家並が続き、千曲川の河原に向かって下る「お滝通り」は、往時を偲ばせる雰囲気が保たれている。
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