中山道

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信 濃(信州)

中山道 第30宿 塩尻宿 塩尻峠を越えて松本平へ

下諏訪から塩尻峠を越えて塩尻宿を目指す。塩尻峠はダラダラと上りが続き、山道としての面白みはなかった。しかし峠を越えて松本平に入ると、「雀おどり」とか「雀おどし」と呼ばれる、堂々たる風格の棟飾りをもつ旧家が目に付くようになる。
信 濃(信州)

中山道 第29宿 下諏訪宿 ユニークな造形「万治の石仏」

7年に1度行われる諏訪大社の御柱祭で、山出し最大の難所といわれる「木落し坂」を眺め、さらに諏訪大社から万治の石仏へと寄道して下諏訪宿に到着である。中山道の舞台は信州佐久側から諏訪側に移り、これからしばらくは中央線を利用した中山道歩きとなる。
信 濃(信州)

中山道 第29宿 下諏訪宿 和田峠を越える(2)

男女倉の和田峠上り口から、いよいよ和田峠を越えて下諏訪を目指す。高原を走るビーナスラインを何度も横断しながら進むが、碓氷峠の上りと同じように、楽しい山登りである。この和田峠を越えると、佐久から諏訪側へと移り、中央線を利用する旅となる。
信 濃(信州)

中山道 第29宿 下諏訪宿 和田峠を越える(1)

和田宿から和田峠の上り口までを歩き、その日は長久保宿に宿泊。翌日和田峠を超える計画である。和田宿から下諏訪宿まで22Kmほどあるが、この計画だと少し短くて済む。天候に恵まれ、満開のニセアカシアとハルゼミの鳴き声を聞きながらのんびり歩く。
信 濃(信州)

中山道 第28宿 和田宿 難所の和田峠を控えた宿場

和田宿と隣の下諏訪宿の間には、中山道の最高地点にして最大の難所といわれた和田峠(約1,600m)がある。冬は寒さと積雪で旅人は難渋し、旅人はもちろん、参勤交代の大名も必ず宿泊した。現在も出格子造りの家が残る、静かな宿場の面影を残している。
信 濃(信州)

中山道 第27宿 長久保宿 真田幸村の娘が嫁ぐ

真田幸村(信繁)の長女すへは、長久保宿本陣を務めた石合家の「石合十蔵道定」のもとへ嫁いだ。そして大阪夏の陣の3カ月前に、真田幸村は石合十蔵宛てに「ふつつかな娘だがよろしく」というような書状を書いている。現在もこの石合家は残っている。
気まぐれ日記

街道歩きの道具(1) MERRELL(メレル)の靴

中山道を歩く際、普通のランニングシューズを履いて歩いていた。 通気は良いし、何より軽くて良い。 しかし靴底が減り、また碓氷峠を上った時、少し滑ったりしたので買い替えることにした。 選んだ靴は、以前から欲しいと思っていたMERRELL(メ...
雑学 中山道

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その3

京都を出発して25日目の文久元年(1861)11月15日、皇女和宮降嫁の大行列は、無事に江戸の清水御殿に到着した。 こうして中山道沿道の村々を巻き込んだ、和宮狂騒曲は幕を閉じた。 普通のドラマであれば、ここで大団円を迎え、すべてがめでた...
雑学 中山道

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その2

万延元年(1860)、皇女和宮の輿入れが決定。 婚姻相手は徳川14代将軍家茂(いえもち)である。 そして幕府によって、その準備が一斉に始められた。 翌 文久元年10月、和宮一行は中山道を下ることになるが、この中山道沿いの宿場などに幕府よ...
雑学 中山道

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その1

文久元年(1861)10月20日、沿道で行列をすべて見送るには丸四日を要したといわれる、超巨大な大行列が京都から江戸に向けて旅立った。 行列の中心人物は「和宮親子(ちかこ)内親王」。 徳川14代将軍家茂(いえもち)に嫁ぐための花嫁行列で...
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