2020/03/26 09:41:39
番町皿屋敷で「お皿が1ま~い、2ま~い」と数えた「お菊さん」の墓標があった。 あの怪談話の素となった実在の女性だが、化けて出たわけではないようだ。
2020/03/26 09:48:03
平塚宿の江戸方入口にあった見附が復元されている。
2020/03/26 09:54:03
街道沿いには脇本陣跡や高札場跡を示す碑が立つ。
2020/03/26 09:56:18
平塚宿の本陣であった「加藤七郎兵衛家」跡の碑が立つ
2020/03/26 10:02:18
桓武天皇の孫娘である政子が、京都から東国に下る途中にこの地で没し、その棺を埋めて塚を作ったが、塚の上が平らだったことで「平塚」と呼ばれるようになった。
2020/03/26 10:18:33
高麗の王族が移り住んだとも伝えられる伝説の山。 頂上の「湘南平」からの眺望が良い。
2020/03/26 10:26:22
「高麗神社」の漢字を簡単にするため名を変えたのか? 地元の人々には高麗の権現様と呼ばれるているそうだ。
2020/03/26 10:32:21
大磯では“虎御前”という女性が有名だったそうで、朝夕この井戸水で化粧したと云われている。
2020/03/26 10:33:21
化粧坂交差点で国道と別れ、緑豊かで静かな街道を進む。
2020/03/26 10:37:21
街道は東海道線にぶつかり、地下道を通って反対側に出ると、大磯宿入口を示す「江戸見附跡」説明版が立つ。
2020/03/26 10:50:22
虎御前が十郎との恋の成就を祈願したという「龍神」のようである。
2020/03/26 10:56:03
大磯宿には小嶋・尾上・石井と3つの本陣があった。 説明版を見ると、ここは小嶋本陣跡のようである。
2020/03/26 11:06:04
同志社大学設立をした新島襄。 病でこの大磯で療養中に亡くなったそうだ。 享年47歳。
2020/03/26 11:09:04
「湘南発祥の地 大磯」と刻まれている。
2020/03/26 11:19:37
中山道の妻籠宿出身の島崎藤村が、昭和16年から71歳で亡くなるまでの2年余りを暮らした旧宅。
2020/03/26 11:24:07
国道1号沿いに残る立派な松並木。 右手には松の間から富士山を望むことができた。
2020/03/26 12:50:56
日本橋から18里。 押切坂一里塚とも呼ばれている。
2020/03/26 13:09:25
茅ヶ崎、平塚と海沿いを歩いてきたが、ここでやっと海を見ることができた。 相模湾である。
2020/03/26 13:14:55
彩色された不動明王を載せた「大山道道標」。 その奥には秋葉山灯篭や道祖神もある。
2020/03/26 14:48:44
江戸時代には橋がなく、大井川と同じように人足に担がれて川を渡った。
2020/03/26 15:00:44
足利尊氏や楠木正成の陰に隠れがちな武将。 鎌倉幕府を責めるため、稲村ケ崎から黄金の太刀を投げ入れた話が残る。
2020/03/26 15:18:14
日本橋から20里。 国道をはさんだ反対側には小田原宿の「江戸口見附跡」碑も立つ。 小田原宿の入口である。
2020/03/26 15:25:28
小田原の名産品といえば「かまぼこ」。 かまぼこ店や干物店が軒を連ねている。
2020/03/26 15:40:58
昭和7年に建設された旧網問屋で、典型的な商家の造りである「出桁造り」となっている。