2020/03/12 09:29:54
標柱と明治天皇行在所跡の碑が立つ。戸塚には内田家と澤邊(さわべ)家の2つの本陣があった。
2020/03/12 09:39:47
源頼朝・義家父子が建立したという。 本殿奥に“戸塚”の地名由来になった富塚彦命の古墳「富塚」があるが、階段を上るのが大変そうなのでパス。
2020/03/12 09:45:50
大坂を上り始める。 昔は単に「戸塚の坂」と呼ばれていたようで、一番坂と二番坂の2つの急坂が並んでいた。 現在は改修工事が進み、ダラダラと長い坂が続いている。
2020/03/12 10:02:56
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に登場する「お軽勘平」らしい。 しかし何故ここにあるのかは不明。
2020/03/12 10:58:27
立派な碑が立つが、松は少ない。 1960年代に松くい虫の被害で、往時の面影は失われたそうだ。
2020/03/12 11:11:28
小栗堂に小栗判官と十勇士の墓、照手姫の墓がある。 歌舞伎の世界の架空の人物ではなかったのか?
2020/03/12 11:28:39
時宗の総本山。 参道入口には立派な黒門が立つ。
2020/03/12 11:49:20
主君源義経を祀る白旗神社に向けて、弁慶を祀る八王子社がこの場所に建てられていたと伝わる。
2020/03/12 11:55:32
藤沢宿で「飯盛旅籠小松屋」を営んでいた小松屋源蔵が建立。 当時はこのように供養された遊女は珍しかったようで、源蔵の温情が偲ばれる。
2020/03/12 12:01:52
奥州で自害した義経の首は、鎌倉に送られ首実検後に片瀬浜に捨てられ、白旗川からこの地に漂着。 里人がこの井戸で洗い清めたと伝えられている。
2020/03/12 12:20:02
藤沢宿の京方出口。 標柱のみ立つ。
2020/03/12 12:32:19
女性だけの願い事を聞きいてくれる男女双体道祖神。 願い事がかなったお礼として、顔に白粉を塗るそうだが、口紅がすごい!
2020/03/12 12:52:39
色付けされた火炎の光背を持つ不動明王を載せ、「是より右大山みち」と刻まれた大山道道標が立つ。
2020/03/12 13:00:14
二ツ家稲荷神社の庚申塔。 写真では良くわからないが、台座の上に三猿像が彫られている。
2020/03/12 14:26:13
日本橋から14里。 国道1号に面しているが、良く残ったと思う。
2020/03/12 15:09:55
関東大震災の時に、液状化により地中から出現した鎌倉時代の旧橋脚。 ここにあるのはレプリカで、実物は腐朽を防ぐため、地下2m65cmに保存されている。
2020/03/12 15:31:25
相模川の河口付近を馬入川と呼ぶが、鎌倉時代に相模川に架かる橋が竣工した際、源頼朝が乗った馬が川へ落ちた。それ以降相模川の下流部を馬入川と称するようになった。
2020/03/12 15:41:20
日本橋から15里。 ここを過ぎれば平塚の駅は近い。