2022/08/23 00:11:38
大垣に宿泊し、樽見鉄道で美江寺駅へ移動。 この日はここから赤坂宿を経て垂井宿を目指す。
2022/06/10 09:03:27
中山道は美江神社前で直角に曲がる。 往時は美江寺があったが、斎藤道三が稲葉山城築城時に、現在の岐阜市に移設した。
2022/06/10 09:17:38
美江寺宿を出たところにあり、天保4年(1833)造立の千手観音が祀られている。
2022/06/10 09:29:58
街道は長護寺川を越え、その先巣南中学校の敷地へと続いていた。現在は川に阻まれ、右に曲がって県道の橋を渡る。
2022/06/10 09:36:24
左右に水田が広がる真っ直ぐな道を進み、街道は揖斐川にぶつかり川の中に消滅する。 かつて揖斐川はこの地に無かったが、昭和初期に小簾紅園の先を流れていた呂久川を改修し、現在の地に付け替えた。
2022/06/10 10:07:27
皇女和宮が呂久川を御座船で渡る時、美しく紅葉している楓を見て『おちていく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ』と詠んだという。
2022/06/10 10:35:41
日本橋から109里目。遺構は何も残っておらず、どうも「この付近にあった」程度のようである。
2022/06/10 11:15:45
くねくねと曲がる「中山道七回り半」。 広い通り沿いに建つアパートの裏手に回り込んで街道は続いている。
2022/06/10 11:37:19
奈良時代に百済王国の末裔が、祖先を祀ったのが始まりとされている。
2022/06/10 11:47:00
日本橋から110里で、池尻一里塚とも呼ばれるようだ。 ネット上の中山道の記録にある石碑の位置から、少し移動していた。
2022/06/10 12:00:31
赤坂宿の江戸方入口。 親水公園として整備されているが、往時はたくさんの舟が行き交う港だったとは思えない。
2022/06/10 12:27:21
大垣と美濃赤坂を結ぶ、僅か5.0Kmのミニ路線。 東海道本線の支線として扱われている。 何とも言えない雰囲気の駅。 一度乗りたかった。
2022/06/10 12:35:45
将軍が上洛時の休泊所。 岐阜城の御殿61棟を移築させたという。 現在は古井戸跡や大手門跡、土塁等が残る。
2022/06/10 13:00:06
桝形のようにクネッと曲がり、中山道は谷汲街道と養老街道の真ん中を突っ切っている。
2022/06/10 13:07:44
「お嫁入り普請探訪館」があったが、鍵がかかっていて中に入れなかった。この写真は嫁入り普請ではないと思うが、雰囲気にある建物である。
2022/06/10 13:14:16
赤坂宿の京方出口に碑が立つ。 後方の塚は「兜塚」と呼ばれ、関ヶ原の戦いの前日、杭瀬川の戦で戦死した東軍の武将・野 一色頼母を葬ったと伝わる。
2022/06/10 13:23:52
約1600年前に築かれた、岐阜県最大の前方後円墳。 石室近くから20本の刀剣が発見されたそうだ。
2022/06/10 13:45:17
東海道線の下をくぐり青墓町へ入る。 「歴史の里」と銘打っているが、町の名前がすごいと思う。
2022/06/10 14:00:47
照手姫と小栗判官の伝説は各地に残る。 愛する小栗判官を殺され、青墓の長者へ売られた照手姫は、遊女として働くことを拒んだため、一度に百頭の馬に餌をやれとか、籠で水を汲んで来い等と無理な仕事を言いつけられ、この井戸で籠を使って水を汲んだと伝わる。
2022/06/10 14:35:20
少し北に行くと聖武天皇の命によって全国に築かれた国分寺の一つである「美濃国分寺跡」がある。
2022/06/10 15:08:55
相川橋を渡ると垂井宿に到着である。 この日はここで街道歩きを終え、JR垂井駅に向かう。
2022/08/23 00:14:58
秀吉に「三顧の礼」を以て軍師として迎えられた竹中半兵衛。 垂井の北の方には竹中半兵衛の陣屋跡などがある。