2022/04/08 09:07:58
鵜沼宿の江戸方入口。「是より西尾州領」の石柱。道路の反対側には「是より東尾州領」の石柱も立つ。
2022/04/08 09:31:25
石仏横の階段で土手に上がると翠池が広がる。ハスの名所のようだが、ハスの葉はまだ出ていなかった。
2022/04/08 09:45:40
津島神社建物の裏手にまわると、農村舞台の皆楽座がある。客席を持たない舞台のみの農村舞台だが、廻り舞台、奈落、セリ、太夫座などを備えているそうだ。
2022/04/08 10:15:15
なんとも殺風景な駅舎である。市名は”各務原”だが、駅名は”各務ケ原”と”ケ”が入り、どちらも”かがみがはら”と読むそうだ。いままで”かがみはら”だと思っていた。
2022/04/08 10:31:15
この付近は二十軒立場があったそうだが、まったくその雰囲気はない。辛うじてバス停と、名鉄の駅に名を留めているのみである。
2022/04/08 10:48:45
立派なお社に祀られた2体の石仏。 赤い帽子や前掛けをつけ、地元の方が大切にしていることがうかがえる。
2022/04/08 11:00:48
国道21号の陸橋下に、隠れるように駅がある。
2022/04/08 11:14:19
国道から別れ旧道に入ると、日本橋から103里の一里塚跡。 一里塚の遺構は何も残されていない。
2022/04/08 11:20:14
神社入口に、不浄なものの侵入を防ぐ藩塀(はんぺい)と呼ばれるものが立つ。三池交差点にあった神明神社にもあったが、このようなものは初めて見た気がする。
2022/04/08 12:43:31
「なか21モール」と呼ばれる商店街の入口のようである。
2022/04/08 12:56:29
鵜沼宿と加納宿間は、4里10町(約17Km)と長かったので、中間に位置する新加納に立場が設けられた。
2022/04/08 12:58:01
左右にうねりながら続く道が、旧街道の雰囲気を醸し出している。
2022/04/08 13:16:48
高札場跡と、「右京道 左木曽路 南かさ松」と刻まれる枡形道標が立つ。
2022/04/08 14:13:32
地元の人から勧められて寄道。訪れた日の翌日に火祭りが開催されると教えてくれた。
2022/04/08 14:22:05
朱塗りの「三の鳥居」。中山道との合流点には石造りの「二の鳥居」が立つ。
2022/04/08 14:30:34
美濃国主の土岐氏が城主となった長森城跡で、その後加納藩主となった安津氏により切通陣屋が置かれたそうだ。
2022/04/08 14:58:41
右は中山道、左は伊勢道の追分に、道標と延命地蔵堂が立つ。
2022/04/08 15:05:11
見事な龍の彫刻が本殿に施されている。
2022/04/08 15:20:51
名鉄茶所駅の踏切を渡ると、加納宿の石柱が立っている。
2022/04/08 15:21:57
鏡岩碑は、江戸時代の関取鏡岩のことらしい。道標には正面「東海道 いせ道 なごや きよす・・・」、右面側に「江戸木曽路 みのぶさん いぬやま ぜんこうじ・・・」と刻まれる。
2022/04/08 15:31:20
正面にJR岐阜駅前のタワマンが見えてきた。JR岐阜駅はもう近い。