信 濃(信州)

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中山道 第25宿 望月宿 瓜生坂と懸造りの弁財天

僅か200mほどの距離だが、旧街道の雰囲気を色濃く残した百沢集落を抜け、瓜生坂に向けて金山坂を上る。草付きの急坂である瓜生坂を下り、鹿曲川に出ると望月宿へ到着である。望月宿は意匠を凝らした出桁造りの家など、趣のある街並みであった。
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中山道 第24宿 八幡宿 重要文化財を持つ八幡神社

宿名の由来となった八幡神社が、宿場の入口に鎮座している。現在の八幡塾は宿場時代の面影は少なく、ひなびた街道という印象である。しかしこの立派な神社をみると、塩名田宿と同様に千曲川を渡る旅人などで賑わった様子が眼に浮かぶ。
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中山道 第23宿 塩名田宿 千曲川に残る舟つなぎ石

岩村田宿を抜けると、水田が広がり街道風情も増してきた佐久平を、八ヶ岳などを眺めながら気分よく歩くことができる。やがて塩名田宿に入ると、昔の屋号を掲げた家並が続き、千曲川の河原に向かって下る「お滝通り」は、往時を偲ばせる雰囲気が保たれている。
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中山道 第22宿 岩村田宿 武田信玄の遺骨発見!

宿場町の面影は無いが、商店街アーケードに掛かる西念寺の大きな数珠が印象的である。また龍雲寺から武田信玄の遺骨、短刀、袈裟を納めた茶釜が発掘されたというが、あまり知られていないようだ。また何故か史跡には指定されていない。
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中山道 第21宿 小田井宿 「姫の宿」とも呼ばれる

隣が追分宿であるため、大名などの宿泊は少なかったそうだ。そのため宿場の規模は小さいが、飯盛女が多くいる追分宿を嫌った大名夫人や姫君など、多くの女性がこの小田井宿に宿泊したので、「姫の宿」とも呼ばれている。
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中山道 第20宿 追分宿 北国街道との分去れ

中山道と北国街道との分岐宿として栄えた追分宿。最盛期には200~270人もの飯盛女を抱えるほど賑やかだった。この飯盛女達の情を歌ったといわれているのが「追分節」で、日本各地で歌い継がれる追分節の発祥の地だそうだ。
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中山道 第19宿 沓掛宿 「沓掛の時次郎」は架空の人物

沓掛宿は、両隣にある軽井沢宿、追分宿と共に、浅間三宿として栄えたが、1951年の大火により殆んどを焼失。往時の面影を伝えるものは無い。「沓掛の時次郎」は実在の人物だと思っていたが、じつは戯曲の主人公であることを初めて知った。
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中山道 第18宿 軽井沢宿(2) 宿場の面影は何処へ・・・

碓氷峠を控えた軽井沢宿は街道屈指の繁栄を誇り、飯盛女も多数抱えていたそうだ。しかし現在は宿場町の面影も消え失せ、夏の軽井沢銀座は東京と変わぬ賑わいである。お洒落な旧軽商店街を足早に抜けて、沓掛宿を目指す。
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中山道 第18宿 軽井沢宿(1) 紅葉の碓氷峠を越えて

いよいよ関東平野に別れを告げ、碓氷峠への上りにかかる。標高差は500mほどというが、わらじで歩いた江戸時代の旅人と異なり、しっかりとした靴で、紅葉真っ盛りの道を楽しみながら歩くことができた。碓氷峠の上に立てば、いよいよ信濃の国である。
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