のんびり中山道

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美 濃(濃州)

中山道 第56宿 赤坂宿(1) 呂久川は流れを変えて揖斐川へ

中山道の美江寺宿と赤坂宿の間には呂久川が流れ、渡し舟で川を越えていた。あの皇女和宮も呂久川を御座船で渡っている。しかし現在は細い用水路に姿を変え、ここに渡しがあったとは思えない。呂久川は何処に消えたのだろうか???
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中山道 第55宿 美江寺宿 樽見鉄道「鉄印」求めて寄道する

河渡宿から美江寺宿を目指して歩いたが、美江寺宿手前を走る樽見鉄道で歩みを止めた。樽見鉄道の鉄印を得るため、本巣駅へと寄道するためである。翌日再度樽見鉄道美江寺駅から中山道歩きを再開。美江寺宿をゆっくり見て、次の赤坂宿へと向かった。
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中山道 第54宿 河渡宿 「小紅の渡し」で長良川を渡る

加納宿を出発し、河渡宿を目指す。途中中山道の裏街道として栄えたという「小紅の渡し」を利用して長良川を渡る。つかの間の船旅ではあるが、気持ち良い川風に吹かれながら、往時の旅人気分を味わうことができる貴重な体験であった。
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中山道 第53宿 加納宿(2) 黄金の信長像がお出迎え

鵜沼宿を出発し、途中各務原市民公園で休憩をとり、加納宿までの後半戦に出発である。途中「手力雄神社」に寄道などしながら加納宿を目指す。加納宿に到着してJR岐阜駅北口に回ると、そこには燦然と光り輝く黄金の信長像がマスク姿で出迎えてくれた。
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中山道 第53宿 加納宿(1) 各務原の読みかたと驚きの地名

中山道鵜沼宿から、現在の岐阜市である加納宿を目指して歩く。途中各務原市を通るが、今まで「かがみはら」と読むものと思っていたが、どうも違うようである。また各務原市内の地図を眺めていたら、「織田信長」の名を持つ公園や町名があることに驚いた。
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中山道 第52宿 鵜沼宿 うとう峠を越え豪華に”ひつまぶし”

美濃市の「うだつの上がる町並み」を訪れた翌日、中山道太田宿から鵜沼宿までを歩く。景色の良い木曽川堤防上を歩き、やがてうとう峠に入ると木曽川ともお別れである。うとう峠を越えてお腹もすいたので、昼食は少し贅沢に「ひつまぶし」を楽しんだ。
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中山道 第51宿 太田宿(2) 見事な卯建を持つ脇本陣が残る

宿場の面影を残す太田宿。なかでも脇本陣の林家は往時の姿を留め、立派な本卯建が威厳と格式を示し、なかなか見応えのある建物である。この脇本陣には、明治維新で活躍した板垣退助や、女流歌人の白蓮なども宿泊したという。
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中山道 第51宿 太田宿(1) 三大難所「太田の渡し」を越える

中山道伏見宿と太田宿の間には、中山道三大難所と云われた「太田の渡し」がある。この渡しを使って木曽川の右岸に渡るのだが、往時は川の流れも速く、棹や櫂で操る小さな舟での渡河は難しかったのだろう。現在は立派な橋が架かり、歩いて渡ることができる。
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中山道 第50宿 伏見宿 鬼の首塚と女郎塚

御嵩宿から伏見宿に向けて歩くと、「鬼の首塚」という少々物騒、というか恐ろしげな名のついた場所がある。一方伏見宿には、身寄りもなく亡くなった女郎たちの塚がある。旧街道を歩くと、様々な伝承を知ることができるので面白い。
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中山道 第49宿 御嵩宿(2) 山の中の隠れキリシタンの里

十三峠から続いた美濃路の山間部を抜け、御嵩宿への平地に降り立つ。御嵩宿にある「中山道みたけ館」で、謡坂近辺から発掘された、隠れキリシタンの遺物を見学する。厳しい弾圧に耐え忍び、山中でひっそり暮らした隠れキリシタンに思いを馳せる宿場であった。
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