八百屋お七 わずか16歳で火あぶりの刑に散る

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天和2年(1683年)、江戸で「天和の大火」と呼ばれる火事があったが、この火事をきっかけとした、とんでもない事件が発生した。 世に言う「八百屋お七」である。

「八百屋お七」は、江戸・本郷駒込の裕福な八百屋の娘。 大火で焼け出されたお七は駒込の円乗寺に避難し、そこで寺小姓と運命的な出会いをする。

やがて家が再建されて戻ったのは良いが、「何としても もう一度会いたい!」と恋い焦がれ、驚きの行動に出たのであった。

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「八百屋お七」の墓

墓 所 円乗寺
所在地 東京都文京区白山(地図
街 道 中山道 日本橋~板橋宿間

八百屋お七の話は、井原西鶴の「好色五人女」に書かれ、歌舞伎などの演目となって広く知られている。

家に戻ったは良いが、会いたさは募るばかり。 悶々と過ごす日々であったが、「もう一度火事になれば!」と、突飛な閃きが!

「おいおい! おぉ~い ちょっと待てよ!」と止める者も無く、あろうことかマッチをシュッ!(当時マッチは無かったが・・・)

さいわいボヤで済んだようだが、当時の火付けは大罪。 お縄頂戴となって、南町奉行所のお白洲へ。

奉行:「お主はまだ15歳であろう?」

お七:「いえ 私は16歳でございます。」

奉行:「いや そんなことはあるまい。15歳のはずだ!」

お七:「嘘ではありません、誠でございます。」

何とか命だけでも救おうとする奉行の心を知らず、かたくなに答えるお七であった。

そして ついに市中引き回しのあげく、鈴ヶ森で火あぶりの刑を受け、桜が散るように僅か16歳の春を終えたのである。


八百屋お七の墓

左 :町内会有志が建立した供養塔

中央:鈴ヶ森で処刑された当時の住職が建てた墓(供養塔)

右 :歌舞伎役者・5代目岩井半四朗が建てた供養塔

ほうろく地蔵尊

円乗寺と中山道(17号)を挟んだ反対側に大円寺がある。 ここには火あぶりの刑を受けたお七を供養の為、ほうろく(土鍋)が多数奉納されている。

にほうろく地蔵尊

お七が火事の時に避難した寺や、寺小姓の名前には諸説あるようだが、お七の性格を良く言えば「情熱的」とか「一途」だろうが、悪く言えば「ストーカー」とか「粘着質」と言えるのかもしれない。

それにしても16歳で火あぶりの刑とは! 実際の火あぶりの刑はどのように行われたのかネットで調べてみた。 「おぞましい」としか言いようがないが、興味ある方は調べてみて下さい。

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