漆工の町 木曽平沢(長野県)

木曽平沢

訪問日:2019年5月23日

旧中山道の贄川宿と奈良井宿の中間に位置する木曽平沢。 現在は長野県塩尻市に位置し、江戸時代には中山道随一の漆器生産地として栄え、今日に至っても漆器生産量は日本有数だそうである。

街道沿いには漆器店が軒を連ねるだけでなく、建物が街道に沿って雁行する独特の街並みを見せている。 中山道を贄川から奈良井に向けて歩いた時に訪問した。
 

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木曽平沢の歴史

木曽平沢町並み保存会発行の「木曽平沢 町並み建築 てくてくマップ」を見ると、町の歴史や町並みの特徴などが細かく説明されている。

その説明によると、慶長3年(1598)に奈良井川の左岸にあった道が右岸に付け替えられ、これを機に周辺の山々に生活していた人々が道沿いに集まって集落を形成したことが始まりだそうだ。 この道は、吉蘇路とか木曽路と呼ばれたが、徳川幕府によって中山道の一部に組み込まれて整備された。

その後檜物細工や漆器の生産を行ってきたが、漆器の下地として使う良質な粘土が発見されたことにより、明治初期頃から漆工の町として発展してきたという。

街並みの特徴

中山道沿いに家が立ち並ぶ。 しかし街道が湾曲しているため、地割が道路に対して直角ではない。 それゆえ、建物は雁行というか斜交いに建てられ、側面が連続してみえることになる。 これが平沢独特の町の景観と云える。

斜交いの家

木曽平沢

アガモチ

街道と建物間の空間は、寛延2年(1749)の大火後に、尾張藩により街道から3尺ずつセットバックさせられたそうである。

しかし土地の所有はあくまで私のもの(吾持ヵ)という意味から「アガモチ」と呼ばれているそうだ。 現代においては、駐車場として役に立っているようだ。

木曽平沢

ドジ(通り土間)

温度や湿度が安定する土蔵を漆器造りの作業場としていた。 敷地奥に建てられた土蔵への通路が設けられ、これを「ドジ(通り土間)」と呼ぶそうだ。

木曽平沢木曽平沢

販売もしているが・・・

工房だけではなく販売も行っている。 しかし戸が閉まっていたり半分だけ開いていたりと、店に入ることに躊躇してしまう。 漆器は紫外線に弱いので店の中は暗くして、営業していても戸を閉めている店が多いそうである。

木曽平沢

各時代の建物が存在する

「町並み 建築てくてくマップ」を見ると、江戸時代の出梁造りから、大正・昭和初期の建物などが残っているそうである。 そのため重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

保存地区内で新築、増改築、修繕など外観に影響する変更には許可が必要である。 ここに住む住民たちも大変だろう。

木曽平沢

何の看板か?

格子窓など風情ある町並みを眺めながら歩くと、面白い看板が下がっている。 一見すると木櫛のようであるが、櫛の生産は鳥居峠を越えた先にある藪原の町である。 いまだに何の店だか判らない・・・

木曽平沢
 
現在の木曽平沢は、会津若松・輪島に次ぐ漆器の産地だそうだが、私は中山道を歩き始めて初めて知った町である。

また長野オリンピックの金・銀・銅メダルには、日本の伝統工芸である漆をあしらったそうだが、恐らく平沢の職人たちの手によるものだろう。

漆器一筋に生き続けてきた木曽平沢の町並みは、歴史の趣と風情が感じられ、静かで落ち着いた街歩きを楽しむことができる町であった。
 


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