支那事変で功績を讃えられた母 何をしたのか??

スパイ
昨年11月に母が95歳で亡くなり、実家を整理していたら、「エェ~ッ!」っと驚くようなものが出てきた。

タイトルにあるように、母は「支那事変」での功績を讃えられ、金一封を貰っていたのである。

一体何の功績を挙げたのか? 真っ先に頭に浮かんだのは「東洋のマタハリ」。 ひょっとしたら母はスパイだったのか???

スポンサーリンク

支那事変に於ける功に依り金60円を賜る

引き出しの奥底から、折り畳まれた少し厚手の紙が現れた。 ゴミ袋に捨てる前に何気なく開いてみると、思わず目が点になるような代物であった。


支那事変

ネットで調べると、昭和15年当時の大卒公務員初任給が75円くらいだそうだ。 これを考えると、賜った「六十円」は、現在の17万程度のようである。

17歳の少女が挙げた功績とは??

母の誕生日から考えると、昭和15年は17歳の頃。 いったい どのような功績を挙げたのだろうか? 母からは何も聞いたことがない・・・

”支那事変”という言葉で、真っ先に頭に浮かんだのは

「東洋のマタハリ」 のような女スパイ。

「東洋のマタハリ」とは、満州で暗躍?した、男装の麗人「川島芳子」である。

しかし東京で生まれ育った母は、大陸へ渡ったことは無い。

では何をしたのか??? 騒ぐことが好きだったようなので

提灯行列の先頭に立って、戦勝気分を盛り上げたのだろうか???

昭和15年11月に紀元2600年祝典が開かれ、5日間にわたり提灯行列や旗行列、音楽行進などが行われたそうだが、表彰状の日付はそれ以前である。

冗談はさておいて、昭和15年の時代背景を調べると、内務省からカタカナ名の芸能人に対する改名指令、隣組強化法やぜいたく禁止令などが出されたようだ。

戦時色はますます色濃くなり、庶民の生活も戦時体制の中に組み込まれていったようである。

大変な時代を生き抜いた母に感謝!

それにしても”支那事変”とはすごい。 戦争というと太平洋戦争を思い浮かべ、”支那事変”はずいぶん昔のことと思っていたが、意外や身近に時代体験者がが存在していた。

しかし あらためて母の誕生日・大正12年10月11日を考えると、関東大震災(大正12年9月1日)の直後である。

東京の王子のあたりで生まれたそうだが、震災から始まり、支那事変、太平洋戦争と、とんでもない時代を生き抜き、戦後私たち3人の子供を丈夫に育て上げた母には、改めて感謝の念を感じるのであった。



スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください