江戸の旅 異人の目から見た日本の風俗



江戸時代、ポルトガルやスペインなどから多くの「異人」が日本にやって来た。 これら来日した異人たちは、当時の日本人の暮らしや風俗をどのように見ていたのだろうか?

これを知るには、来日した異人たちの日記など読むと判るようで、シーボルト、ケンペル および ツュンベリーという3人が書き残した記録が代表的なものらしい。

この中でツュンベリーという医者が1775年に長崎に来航し、江戸への往復の旅で見聞きした日本の風俗などを記した「江戸参府随行記」という本を読んだ。 この中でいくつか面白いことが記されていたので紹介しよう。

ちなみに「風俗」といっても、現代のサービス業の一つである「風俗」でないことをお断りしておく。

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C.P.ツュンベリーと「江戸参府随行記」

スウェーデンの植物学者で医者でもあるC.P.ツュンベリーは、1775年(安永4年)にオランダ商館付医師として長崎の出島に来航。 翌1776年にオランダ商館長に従って江戸参府を果たした。

この江戸参府の往復で見聞きした事柄を記したものが「江戸参府随行記」(東洋文庫・平凡社)である。 紀行文以外に、植物観察や地理・宗教・食物・医学・住居など幅広く観察して書きまとめている。 当時の日本人の暮らし・風俗を、異なる文化を持つ者の目で見て感じたことを、紀行文の中にちりばめた面白い書であった。

この絵はツュンベリーとは関係ない。 黒船来航の絵である。

オランダの船長は、でかい服着て密輸に励んだ!

出島に到着すると、船長は非常にゆったりとした幅広い絹の上着をはおったそうだ。

商館長と船長は検閲を免れる特権があったようで、この上着を使って密輸品を持ち込んだ。 上着を一杯に膨らませて船から商館へ日に3往復するのが常であり、あまりに重いものを持って上陸するので、船員二人が両腕を支えねばならなかったそうである。 日本の風俗とは関係ないが、密輸する姿を想像すると滑稽である。

船長は自分のものだけではなく、士官の分も金を取って運ぶ「運び屋」だったようで、いったい何を秘かに持ち込んだのか? この点は残念ながら記されていない。

しかしこの特権は、到着後数日で剥奪されたようである。 バレたのか ??

江戸時代の人妻は醜かった!

ツュンベリーは本書の中で、日本の既婚女性に関して下記のように書いている。

・既婚女性が未婚女性と区別できるのは、歯を黒くしていることだ。 日本人の好みでは黒い歯はまさしく美しいものとされているが、大半の国なら家から夫が逃げ出してしまう代物である。

・既婚女性はお歯黒や眉毛を全部抜いているので、美しく整った顔は台無しで醜い。

・大きな口にぎらぎらした黒い歯が見えるのは、少なくとも私にとって醜く不快なものである。

眉毛を抜いたのは「引眉」と呼び、公家のように高い位置に長円形の眉を墨で描いていたが、江戸の後期には描くこともなくなったそうである。

NHKの時代劇や大河ドラマで時代考証をもっとまじめにやったら、「気持ち悪い!」「恐ろしい!」と批判殺到すること間違いない・・・

眉も無く、赤く紅をさした口元から真っ黒な歯が現れる様は、まさに般若である。

離縁させられた女は丸坊主になった?

「夫から追い出された夫人が、何らかの生活費を乞うために商館長を訪ねてきた。 彼女は頭を丸坊主にさせられ、何も被らずむきだしの頭のままで歩き廻っており、まったくおかしな恰好であった。 何かの理由で夫から離縁されると、このようにするのが通例だそうである。」

このように書かれているが、これは怪しいと思う。 江戸時代の離婚率は現在より高かったそうだが、この様な話は聞いたことがない。

駆け込み寺で有名な東慶寺に駆け込んだが、厳しい精進生活に耐えかねて脱走を図った場合、丸坊主にされて素裸で門外へ追い出されることはあったようである。

男も女も裸で飛び出してきた!

ツュンベリーの「江戸参府随行記」には、日本人の女性は人前で裸をさらすことを、あまり気にしていなかった様子が書かれている。

・日本人にとって、一般には羞恥はあまり美徳ではないようである。 女性は時々仕切りのない場所で入浴しており、オランダ人が一度ならず目の前を通っても、身を隠すような気配は殆どない。

また安政5年(1858)に、日英修好通商条約締結のため来日したイギリス人のオズボーンは、異人を見ようと風呂から裸で飛び出してくる日本人の様子を書き残している。

・浴槽から踏み出し、赤児を前に抱いて我々を見ようとかけ出してくる。

・入浴中の男や女は、石鹸のほかは身にまとうものもないことを忘れて戸口に集まっている。 少なからず無秩序で、笑ったり、じろじろ眺めたり、また柵で止められる所まで我々と並んで走ってくる。

これらの記述から、男も女も異人に対する好奇心を抑えきれず、裸のまま飛び出してしまったようだ。

現代と比べて「裸」に対する感覚は大きく異なり、良く言えば「屈託がない」「天真爛漫」と言えるかもしれない。 そういえば、当時の銭湯は混浴であったこと思い出した。

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女郎部屋の元祖は源平合戦?

江戸への参府の旅の途中、瀬戸内海の大崎下島にある「御手洗」という港に立ち寄っている。 そして御手洗にある女郎部屋を見て、「何故こんな淫らな施設がたくさんあるのか?」と疑問を持ったようだ。 そして通詞を通じて得た調査結果は、驚愕のストーリーであった!

・このような淫らな家は昔からあった訳ではない。

・ある時、武士の最高司令官である将軍が、天皇の権力と権限を奪い取ろうと内乱を起こした。

・当時天子はまだ幼く、乳母や廷臣に伴われて下関への逃亡を余儀なくされた。

・その時天子に仕えていたのは女性ばかりであった。

・敵方に追われて海を渡る時、乳母は天子と共に海に飛び込み、ついに溺れてしまった。

・残された女官たちは下関に逃れたが、暮らしのすべがなく、淫らな生活手段をとらざるを得なかった。

これはほとんど源平合戦における壇ノ浦の戦い。 海に飛び込んだ天子は、平清盛の孫である安徳天皇である。 確かに平家に仕えていた女官たちは失業、食うに困って身を売った女もいたかもしれない。 しかしこれが女郎の元祖でないことは確かであろう。

ちなみに現在の大崎下島の御手洗地区には、遊郭であった「若胡子屋」が残されている。 ツュンベリーもお世話になったのかもしれない。

大崎下島 レトロな御手洗地区
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老人や子供は馬糞を拾い集めた!

ツュンベリーは旅の街道の様子を下記のように書いている。

・街道では子供や老人が、旅の馬が落とす糞をせっせと入念に集めていた。

・彼らは柄の先に匙(さじ)のように付けたあわびの貝殻で、屈み込まずに器用に集め、拾い上げた馬糞を左手に持った籠の中に入れた。

「柄の先についた匙で屈み込まずに・・・」という文を見て、何か思い浮かべないだろうか? 私はディスニーランドで園内の清掃をしたり、地面に箒と水で絵を描いたりする「カストーディアル」と呼ばれるキャストを思い出した。

集めた馬糞は各家の厠の便壺に入れられ、家人の尿や糞、台所からの屑類も含めて畑の肥やしとして再利用していた。

街道沿いの家の厠は旅人たちにも利用させて糞尿を集めたそうだが、耐え難く・吐き気を催すような悪臭が発生していると、ツュンベリーは書いている。



他にも「ホゥ!」と思ええる事柄が様々書かれているが、総体的に日本のことを良く書いている。

・日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。

・家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。

・きれいさと快適さにおいて、かつてこんなに気持ち良い旅ができたのはオランダ以外にはなかった。

・国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公正、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である。


多少大袈裟で、くすぐったくなるほど褒めまくってくれている。 現在の日本人の評価に通じる部分もあるが、明治維新と文明開化、戦後の経済発展やバブルを通じ、江戸時代に持っていた良いものが多く失われているような気がする。


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