芝口御門と浜大手門 仲間外れの門(番外編)

大手門
外堀通りの虎の門から新橋方向に歩くと、JR新橋駅手前に幸橋門があった。

三十六見附めぐりでは、この幸橋門から山下門跡に向かって有楽町方向へ歩を進める。 しかし、この幸橋門から東京湾に伸びていた汐留川沿いに、「芝口御門」と呼ばれるもう一つの門があった。 この芝口御門を更に進むと、将軍家の別邸であった「浜御殿」、現在の浜離宮へと続く。

この芝口御門は、残念ながら37番目の見附として数えられなかった。 仲間外れとされて可哀そうなので、三十六見附の”番外編”として訪れてみた。

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おじさん族 最強の聖地 新橋

新橋駅前の第一ホテル付近に幸橋門があったが、現在は地名はおろか、標柱すら立っていない。 JR山手線のガードに、「幸橋架道橋」の名を残しているのみである。

このガードをくぐり、線路を挟んだ反対側の外堀通りに向かう。

幸橋架道橋

JRの高架と首都高速の間の路地は、華やかな表通りと異なり、サラリーマンに優しい飲み屋街。 新橋の烏森神社界隈も含め、新橋はおじさん族最強の聖地である。

飲み屋街

汐留川沿いの橋

昔は幸橋門から東京湾に向け、汐留川が流れていた。 この汐留川は江戸城築城に際し、日比谷入江を埋め立てた時に作られた人工の水路だそうだ。 現在は埋め立てられ、その上を首都高速が走り、往時の面影はない。

しかし江戸切絵図を見ると、この汐留川に架かっていた橋の名が、現在も地名として名残りをとどめていることがわかる。

江戸切絵図

ちなみに、切絵図の新橋の左上に「金春(こんぱる)屋敷」とある。 これは江戸時代に4家(金春、観世、宝生、金剛)あった幕府直属の能役者のうち、「金春家」の屋敷跡である。

現在も「金春通り」という名が残り、通り沿いには「金春湯」という銭湯もある。 銀座のど真ん中に、いまだに銭湯が残るとは驚きである。

土 橋

JRのガードをくぐり外堀通りに出ると、「土橋(どばし)」の交差点である。

木の土台に土をかぶせた、長さ3間2尺(約6m)ほどの、小さな橋が架かっていたが、昭和24年からの外堀埋め立てで無くなり、現在は交差点名として残っている。

土橋

新 橋

日本橋から京に向けて伸びる東海道、汐留川を渡る橋が「新橋」である。 現在の中央通り銀座八丁目の首都高速高架下には、大正14年に架けられた「新橋」の親柱が残る。

新橋親柱新橋親柱

「新橋」という名称は、芝口御門が造られた時に「芝口橋」と名を変えた。 しかし芝口御門が焼失し、再建もされずに石垣も撤去されたため、「新橋」の旧称に戻ったそうである。

御門通りと芝口御門

土橋の交差点から首都高速沿い、つまり旧汐留川に沿った道には、「御門通り」という名が付けられている。 江戸時代に芝口御門があったことに由来して名付けられたようだ。

御門通り

芝口御門跡

中央通りの新橋8丁目交差点を越えると、「芝口御門跡」の碑が左に立つ。

芝口御門跡

説明版によると、宝永7年(1710)、朝鮮からの聘使(へいし)来朝に備え、新井白石の建策にもとづき、我が国の威光を顕示するために芝口御門を建てた。 しかし僅か15年後に焼失し、以後再建されることはなかったとのこと。

芝口御門跡碑には、往時の門の姿が描かれている。 この絵を見ると、立派な石垣と渡櫓を持つ枡形門であったことがわかる。

芝口御門跡

三十六見附の他の門は防衛目的であった。 しかしこの芝口御門は、説明板を読む限り、海外からの来客への見栄 または ”こけおどし”的な要素のほうが強かったようである。

こんな所に踏切警報器が・・・

芝口御門跡から浜離宮に向けて更に歩くと、ポツンと寂しく鉄道踏切の警報器が立っている。 もちろん線路はない。

これは汐留駅と築地市場を結んだ貨物路線の名残りだそうで、昭和62年(1987)まで活躍していたそうだ。 銀座に残る鉄道遺産である。

銀座の踏切

浜離宮にもあった大手門

現在の浜離宮(浜離宮恩賜庭園)は、甲府藩主徳川綱重の下屋敷(海手屋敷)として海辺を埋め立てて造られ、その後6代将軍・家宣の時に将軍家別邸の「浜御殿」となった。

明治維新後は皇室の離宮となったが、戦後東京都に下賜されて公開されるようになった。

大手門橋

浜離宮の入口に掛かる、2連アーチの大手門橋。 昔の橋は関東大震災で焼失し、現在の橋は大正13年に架けられたものらしい。

大手橋

大手門橋の上から見ると、濠のような築地川と石垣が続く。

将軍家別邸の「浜御殿」であるが、江戸城の出城としての役割も持っていたようだ。

浜離宮

大手門(浜大手門)

大手門橋を渡ると、浜御殿の正面入り口として「大手門」があった。 江戸城を取り巻く他の門と同様に枡形を形成していたが、関東大震災で焼失し、現在は渡櫓門の立派な石垣だけが残されている。

浜離宮大手門

両側の石垣間に立つ門柱は、恐らく浜離宮として公開するときに付けられたものと思われる。

浜離宮大手門

今回は大手門を眺めるだけで、浜離宮庭園には入らなかった。 この浜離宮は、一度くらい訪れたことはあるかもしれないが、まったく記憶にない。 小学生の頃のアルバムには、遠足で浜離宮へ行った時の集合写真が貼ってあったような気がするが・・・

庭園には潮入りの池など、見どころは多いようである。 都心の喧騒を忘れ、静かな時を過ごすには良い所のようである。 一度ゆっくり訪れてみよう。


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