京都 相国寺の伊藤若冲展と養源院の血天井

相国寺法堂
最初の予定では、日帰りで大阪の東洋陶磁美術館、藤田美術館を巡る予定であった。 しかし京都の相国寺にある承天閣美術館で、伊藤若冲展を開催していることを知った。 それも月曜なのに開館している。

昨年東京都美術館で開催された若冲展は、気も狂わんばかりの長蛇の列ができたので諦めた。 そこで今回は大阪で一泊し、翌月曜に京都観光も兼ねて相国寺に行くことにした。

 

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相国寺

京都五山の第2位に列する古刹で、14世紀末に足利義満により創建されたという。 足利義満といえば金閣寺である。 この金閣寺や、義政が創建した銀閣寺も、この相国寺の塔頭(たっちゅう)、判り易く言えば脇寺だそうだ。 これは知らなかったが、凄いお寺のようである。

これは正面入り口ではない。 総門から入ればよいのだが、脇にある門から入ってしまった。

相国寺

瑞春院 水上勉の小説「雁の寺」

相国寺に入ると、すぐ左に瑞春院があった。 水上勉の直木賞受賞作「雁の寺」の舞台で、水上勉が雛僧時代を過ごした禅寺と説明されていた。

雁の寺

相国寺法堂

天井に描かれた蟠龍図は”鳴き龍”として知られる。 春の特別拝観は3月24日からなので、残念ながら見ることはできなかった。

相国寺法堂

相国寺庫裏

庫裏の屋根には、気抜きのような小屋根が乗っている。

相国寺

承天閣美術館での伊藤若冲展

相国寺の敷地内にあり、相国寺だけでなく、金閣寺や銀閣寺に伝わる美術品も併せて展示している。

相国寺と若冲の関係は深く、生前に墓地を作るなどの契約を結んでいたようだ。

承天閣美術館

展示されていたのは、本邦初公開の「鸚鵡牡丹図」や、鹿苑寺の障壁画50面など。

東京都美術館で公開された「動植綵絵」のような派手さはないが、「鸚鵡牡丹図」も裏彩色されているとのことで、ゆっくり・じっくりと見ることが出来た。

 

相国寺の全景図を見ると、墓地には伊藤若冲だけでなく、足利義政や藤原定家の墓もあるようだ。 凄い歴史を感じさせる寺である。

京都御所・蛤御門の弾痕

京都御所が近かったので、禁門の変で有名な蛤御門を見に行く。 幕末の京都で、長州と幕府軍が激しく闘った場所である。

この闘いで敗れた長州藩は、朝敵として京を追われるが、逃げ落ちる時に藩邸に火を放って逃げた。 この火は瞬く間に広がり、本能寺や東本願寺を含めた、27,000世帯ほどに燃え広がったそうだ。

蛤御門

蛤御門には、禁門の変で撃ち込まれた弾痕が残るという。 梁の辺りらしいが、良く見ても判らなかった。 しかし柱などには、弾痕らしき窪みがいくつもあり、私のような馬鹿が指を突っ込むせいか、磨かれたようになっていた。

蛤御門弾痕?

養源院の生々しい血天井に身震いする

帰りの新幹線まで時間があったので、養源院という寺を訪れた。 有名な三十三間堂の隣で、鴬張りの廊下や血天井がある。 団体や観光客も少ない、穴場的な観光スポットだが、見応え十分なお寺であった。

養源院入口には”血天井”と書かれた、まがまがしさを感じる看板が立つ。

養源院

養源院は豊臣秀吉の側室であった淀君により創建され、落雷で焼失。 その後2代将軍・徳川秀忠の正室となったお江(淀君の妹)により再建された。 現在の本堂は、このお江により再建されたものである。

養源院

見学者がある程度の人数になると、お寺の大黒らしき女性(おばちゃん)に引き連れられて、説明を受けながら見学を行う。 単に”血天井”という言葉に吸い寄せられ、殆ど予備知識もなかったので、良く理解できたので良かった。 写真は撮れないので説明だけだが、「血天井」で画像検索すれば見つかると思う。

血天井以外にも、見るべきポイントはたくさんあった。

江戸の有名絵師・俵屋宗達の絵

杉戸や襖に、有名な俵谷宗達の絵が残る。 特に杉戸に描かれた象の絵は、教科書か何かで見たような気がする。

「菊」「葵」「桐」の紋

養源院は徳川家の菩提寺となり、2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されているそうだ。 秀忠とお江の位牌には、「菊」「葵」「桐」の3つの紋があるというが、残念ながら良く判らなかった。

左甚五郎作の鴬張りの廊下

日光東照宮の眠り猫で有名な「左甚五郎」が作ったという鴬張りである。 確かに歩くと”キュッ キュッ”と鳴いていた。

血染めの手形・足跡が残る血天井

鴬張りの廊下から天井を見上げると、海老茶色のような色で不規則に彩られていた。 血の跡である。

説明によると、関ヶ原の戦いの前哨戦といわれる伏見城の戦いで、伏見城を守っていた鳥居元忠以下380名の武将が自刃。 遺骸は関ヶ原の戦いが終わるまでの約2ヶ月間、伏見城に放置されていたそうだ。 この時のおびただしい血痕や脂により、顔や鎧の跡が床板に染み付き、その霊を弔うため天井板としてこの板を利用したと云う。

説明のおばちゃんが棒で天井を指しながら、「ここに顔、ここに肘、片足はあぐらをかいて曲がっている・・・」との説明を聞きながら目を凝らすと、自害し臥せった鳥居元忠の姿が浮かんでくる。 またはっきりと判る手形や足跡も見られ、壮絶というか凄惨な一場面を感じさせる場所であった。

 

こうして駆け足であったが、大阪・京都の美術館めぐりの旅は終わった。 今回は台北・故宮博物院の青磁の水仙盆や、国宝の曜変天目茶碗、伊藤若冲の絵など、なかなか充実した作品を見ることができ、大変良い目の保養となった。

しかし最後に「血天井」といった、美しさと正反対で、とんでもなく生々しく、不気味であるが歴史のもの悲しさを語るものを見てしまった。 意図したわけではないが、このギャップは何か大きい・・・

 


 

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