呉服橋門

大手門
鍛冶橋から東京駅八重洲口を通って呉服橋へ向かう。 東京駅の丸の内側駅舎が、創建当時の姿に復元されて大きな話題になったが、八重洲側もグランルーフがオープンし、お洒落に大きく姿を変えた。

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変貌した東京駅八重洲口

東京駅八重洲口には、JRの高速バスターミナルがある。 日夜を問わず、様々な方面へバスが出発していく。 以前は東京駅という表玄関には似合わない、少し田舎びたバスターミナルであった。 しかしグランルーフの開業にあわせて、バスターミナルもきれいに化粧直しされた。

新装なったグランルーフ

大屋根に覆われたグランルーフ。 屋根の下は、広いペデストリアンデッキがグラントウキョウ ノース タワーとサウスタワーを結ぶ。

東京駅グランルーフ

東京駅にふさわしく

長距離バスのターミナルには適度に緑も配置され、スマート感が出てきた。

東京駅グランルーフ

外堀の石垣

鍛冶橋門の北側を発掘調査した際に出土した外堀の石垣が、八重洲北口に移築・再現された。

発掘された外堀の石垣

鍛冶橋門の北側を発掘調査した際に出土した石垣が、八重洲北口を出た付近に移築・再現されている。

この写真は2014年10月、まだ整備された直後頃の写真である。 現在はこの石垣の前は自転車置き場と化してしまっている。 せっかく整備したのだから、何とかしてほしいものだ。

八重洲口の外堀石垣

切絵図と東京駅

幕末頃の江戸切絵図と、現在の重ね図が、石垣の説明板に描かれている。 オレンジ色の部分が、丸の内側も含めた現在の東京駅である。

右上にある鍛冶橋門の左に、黄色く楕円が描かれた部分が、発掘された外堀の石垣である。 これを八重洲北口側に移築して再現している。

八重洲口の外堀石垣

説明板によると、「鍛冶橋から呉服橋にかけての外堀には、高さ10mほどの石垣があった。 そして平成16年の発掘調査では、土台の上に2段ほどの石が積まれていた」そうだ。

八重洲口の外堀石垣

北町奉行所跡

呉服橋門には北町奉行所があった。 有楽町にあった数寄屋橋門近くには南町奉行所があったが、そこから僅か1.2Kmほどしか離れていない。

北町奉行所の説明版

東京駅八重洲北口に建つ、グラントウキョウノースタワーの前に、北町奉行所の説明板がある。 以前は駅構内の自由通路にあったような気がするが、八重洲側の再開発で移転したようだ。

北町奉行所跡北町奉行所跡

説明版によると、江戸町奉行は徳川幕府の職制の一つで、勘定奉行、寺社奉行とともに、三奉行と呼ばれていた。 江戸の行政、司法、警察など、幅広い分野を担当していたそうだ。 「いれずみ奉行」として名高い、遠山の金さん(遠山左衛門尉景元)も北町奉行を勤めたが、天保の改革に反対して3年で失職。 後に南町奉行に返り咲き、7年務めたそうだ。

外堀の石垣

丸ノ内トラストタワーの東側遊歩道に入ると、鍛冶橋門付近で発見された外堀の石組みが、僅かではあるが復元されている。 下の写真の大きな石の部分がそれである。

北町奉行所跡

北町奉行所の遺構

同じくトラストタワーの庭に、北町奉行所の下水溝の遺構がある。溝の角石が切り取ってあるのは、邪鬼が進入する鬼門である艮(うしとら:丑寅)の方角を防護するための呪術的な意味があったようだ。

北町奉行所跡

忠臣蔵の悪役として歴史に名を残した、吉良上野介の屋敷跡は本所にある。 しかし本所に移転する前は、この北町奉行所の地に屋敷を構えていた。 松の廊下刃傷事件後、本所への屋敷替えを幕府から命じられた為である。

呉服橋門跡

呉服橋交差点

残念ながら呉服橋門跡を示す遺構は何も無い。 日本橋方面と大手町を結ぶ永代通りの交差点と、首都高速の呉服橋ランプに名を残すのみである。

呉服橋門跡

呉服橋門跡

呉服橋交差点から永代通りを少し西に進んだ、トラストタワーの前あたりに呉服橋門はあった。 この永代通りを直進すれば大手門に通じる。

呉服橋門跡


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