中山道 第25宿 望月宿 瓜生坂と懸造りの弁財天

信州・茂田井

旅行日:2016年5月12日

日本橋から25番目の宿場となる望月宿は、古くから馬の名産地で、朝廷や幕府に馬を献上していたそうだ。 八幡宿と望月宿の間には瓜生坂があり、ちょとした山を越えて望月宿に向かう。

日 付 区 間 里程表 実距離 万歩計 ルート
2016年
5月12日
岩村田宿~塩名田宿 1里11町 5.1Km 5.5KM 29,515歩 Map
塩名田宿~八幡宿 0里27町 2.9Km 2.7KM
八幡宿~望月宿 0里32町 3.5Km 4.0km
間の宿 茂田井
望月宿~芦田宿 1里8町 4.8Km 4.9km
合 計 4里6町 16.3Km 17.1Km
日本橋からの累計
(累計日数 : 15日目)
46里9町 181.6Km 190.0Km 314,185歩

里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。

ルートラボルートを見る → “のんびり中山道”で検索)


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百沢集落

国道142号の百沢東交差点でガードレールの切れ目を抜け、静かでひなびた街道風情が残る百沢集落に入る。 街道拡幅時に集落を避けて新道を造ったため、そのまま残されたのだろう。 新道はすぐ傍らを通るが、車で走ったらこの様な場所に気付くことはない。

【浅間山と標柱】
百沢東交差点の旧道分岐に立つ標柱。 浅間山がきれいに見える。

道標と浅間山

【百沢集落】
国道から一歩旧道に入ると、昔の面影を残す静かな集落に踏み入れる。

百沢集落

緩やかに上る道から、百沢集落を振り返る。

百沢集落

【祝言道祖神】
集落のはずれに立つ火の見櫓の足元に、いくつかの双体道祖神が立つ。

石仏群

この中の一つに「祝言道祖神」が祀られている。
宮廷貴族の装いをして酒を酌み交わす姿は、安曇野地方でも例がないそうだ。

祝言道祖神

瓜生坂への旧道

国道142号の「布施温泉入口」交差点に来ると、横の民家からお爺さんが出てきた。 そして「この新道を行ってはダメだ! 信号を渡ってしばらく進み、民家の所で右に入れ。 新道を進む人が多いが、あれは間違いだ・・」と親切に教えてくれた。

【金山坂入口】
お爺さんに言われた通り、布施温泉入口交差点を渡りしばらく進む。
民家脇に道標が現れ、右の草道に入る。 「金山坂」という名があるようだ。

瓜生坂入口

民家の敷地を進むような感じで草道を上り、途中コンクリートの橋を渡る。

草生した旧道

瓜生坂

草むした旧道を上ると舗装路にぶつかる。 旧道はこの舗装路を突っ切って更に斜面を上がっていたようである。 しかし雑草や雑木に阻まれて進むことはできない。 舗装路を右に曲がり国道を横断する。

【金山坂入口】
舗装路を右に曲がり、信号のない国道を注意して横断する。
横断した所に望月宿と書かれた石灯籠が立ち、細い道の迂回路に入る。

現代の瓜生入口

【金山坂】
国道から迂回路に入り、金山坂を上り続ける。
どこかで旧道が合流してくるかと思ったが、それらしきものは判らなかった。

瓜生坂

【瓜生坂一里塚】
南塚に碑が立つ。 北塚は道路の造成で半分削られてしまった。

瓜生坂一里塚

【中山道爪生坂碑】
金山坂を上り切ると、爪生坂碑や百万遍搭などが立つ。

中山道爪生坂碑

【瓜生坂を下る】
爪生坂碑のすぐ先から、山の斜面につけられた草付きの急坂を下る。 この坂が瓜生坂のようだ。
「道はここから土手を斜めにくだっていた」と書かれた案内板がある。

瓜生坂旧道

旧道はやがて舗装路に合流するが、合流点で振り返る。

瓜生坂旧道

長坂を下る

瓜生坂から山道を下り少し舗装路を進むと、右に分岐する道がある。 「長坂」と呼ばれる旧道で、結構な急坂であった。

【長坂への分岐】
道路から右へ分岐する細い道に入る。 最初は結構な勾配である。

長坂への分岐

【長坂の石仏群】
長坂の沿道には多くの石塔群や道祖神が祀られている。
坂の途中に「大応院」があったが、明治5年に廃寺となった名残である。

長坂の石仏群

「瓜生地区急傾斜地崩壊危険区域」の看板が立つ長坂を振り返る。

長坂を振り返る

絶壁の弁才天

長坂を下り切ると、鹿曲川(かくまがわ)に突き当たる。 川を渡ると望月宿だが、少し寄り道して、絶壁を穿って造られた弁才天を見に行く。

【出桁造りの家】
鹿曲川に架かる橋を渡ると、左側に出桁造りの家の家が現れる。
出桁の下には、丸に望月宿の”モ”の字が彫られている。

出桁造り

【絶壁の弁才天】
望月宿のバス通りに出て、左に曲がり望月宿入口交差点に向かう。
鹿曲川に架かる望月橋の上から、絶壁を穿って建てられた弁財天を眺める。

弁才天

望月宿

昔は鹿曲川の右岸に宿場があったが、享保2年(1742)の大洪水で流失し、現在の左岸に移転したそうだ。 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠9軒で宿場を構成していた。

【立派な家】
木組みの白壁と、格子が立派な家が現れる。

望月宿

【山城屋旅館】
旅籠の「山しろや」。 現在も「御宿 山城屋」として営業している。

山崎屋旅館

2階の軒下には「山しろや」の行灯が下がる。 夜には明りが灯るのか?

山崎屋旅館

【出桁下の洒落た飾り】
鹿曲川を渡った所には、丸に”モ”の字が彫られた出桁造りの家があった。
「ささや」の看板がある家は、扇の形で飾られている。

望月宿

【本陣と脇本陣跡】
往時の本陣であった大森家は、現在は大森小児科医院となっている。
斜め向かいの藤棚を持つ家は、「鷹野脇本陣跡」である。

望月宿

【重要文化財の真山家】
望月宿では最も古い、天明5年(1785)の建造物である。
往時は「大和屋」という名の旅籠で、国の重要文化財に指定されている。

望月宿

真山家の出梁をみると、彫刻が施されている。

大和屋

【下駄がぶら下がる家】
昔は下駄屋さんだったのか? 軒下に”モ”と書かれた大きな下駄が下がる。

望月宿

【大伴神社】
宿場のはずれに大友神社がある。 階段を見て上る気が失せてしまった。

大伴神社
望月宿は思っていた以上に、昔の面影を持つ家などが残っていた。

鹿曲川を渡った所の民家の軒下に、丸に”モ”の字が彫られ飾りがたまたま目に入った。 それ以降、出桁造りの家を注意して見ていくと、凝った彫り物を持つ家が思いのほかあることに気づいた。 この先も往時を偲ぶ建物や石仏など、多数目にすることになるが、注意深く観察しながら歩くようにしよう。


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