中山道 第23宿 塩名田宿 千曲川に残る舟つなぎ石

信州・茂田井

旅行日:2016年5月12日

昨年11月末に岩村田宿まで歩いたが、寒さも厳しくなったので一時中断した。 年が明け、春の早い時期から再開を予定したが、ぐずぐずと5月の中旬になってしまった。

長野新幹線の佐久平で小海線に乗り換え、久し振りに岩村田の駅に降り立つ。 天気は上々で、抜けるような青空である。 佐久平を西に向かうが、右に浅間山、左に八ヶ岳、時には遠くに白く輝く北アルプスを望みながら、山岳遠望の中山道歩きであった。

日 付 区 間 里程表 実距離 万歩計 ルート
2016年
5月12日
岩村田宿~塩名田宿 1里11町 5.1Km 5.5KM 29,515歩 Map
塩名田宿~八幡宿 0里27町 2.9Km 2.7KM
八幡宿~望月宿 0里32町 3.5Km 4.0km
間の宿 茂田井
望月宿~芦田宿 1里8町 4.8Km 4.9km
合 計 4里6町 16.3Km 17.1Km
日本橋からの累計
(累計日数 : 15日目)
46里9町 181.6Km 190.0Km 314,185歩

里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。

ルートラボルートを見る → “のんびり中山道”で検索)


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上越新幹線からの山岳展望

東京から上越新幹線で高崎方面に向かう場合、進行方向左側の窓際席を確保する。 荒川を渡り、埼玉県に入ると富士山を背景に、丹沢から奥多摩の山々が連なる。 更に熊谷あたりまで進むと、秩父の山や榛名山、浅間山も見えてくる。

【熊谷近辺からの両神山】
小鹿野町と秩父市の境に聳える標高1723m。 日本百名山の一つである。
ぎざぎざの稜線と、左右の山稜が大きく切れ落ちているのですぐ判る。

両神山

【高崎手前からの荒船山】
平坦な頂上と切り立った崖から、遠くから見ると航空母艦のように見える。
富士山と同じで見ればすぐに判り、思わず「荒船山だ!」と口走ってしまう。

荒船山

岩村田宿を出発

昨年末に訪れた商店街や西念時を再訪。 その後相生町交差点を右に曲がり、塩名田宿目指して歩き始める。

【岩村田宿の標柱】
相生町交差点に立つ標柱。 中山道方向は「佐久甲州街道」と書かれている。

塩名田宿碑

【西宮神社】
相生町交差点を曲がると、すぐに小さな西宮神社がある。
御神燈の前には、注連縄のかかる道祖神などが祀られている。

西宮神社

【子ども未来館】
小海線の踏切手前交差点で右を見ると、銀色に輝く大きな丸屋根が見える。
佐久市の「子ども未来館」で、プラネタリウムなどがあるそうだ。

子ども未来館

【御嶽神社の石塔群】
神社という、小さな神社前の街道沿いに石塔が並ぶ。

御獄神社の石塔

【相生の松】
赤松と黒松が一つの根から生えた松で、縁結びの象徴とされているそうだ。
皇女和宮がここで野点をして小休止している。 現在の松は3代目である。

相生の松

佐久平を進む

岩村田の街を抜けると左右に水田が広がり、大変眺めが良くなる。 丁度水田に水が入り、ケロケロとカエルの鳴き声を聞きながら、浅間山や八ヶ岳を眺めながら歩く。

【浅間山】
水田に浅間山が姿を映す。 麓の街は佐久平の街である。

浅間山

【八ヶ岳】
浅間山の反対側に目を転じると、遠くに八ヶ岳の山並みを一望できる。
一番左の硫黄岳から右の蓼科山まで、八ヶ岳でも北八ツと呼ばれる山域だ。

八ヶ岳遠望

【平塚から根々井塚原の集落】
街道の左右は水田だけではなく、リンゴ畑も増えてくる。
中部横断自動車道の高架をくぐると、平塚集落に入る。

平塚集落根々井塚原集落

【タバコ屋さん】
昔懐かしい雰囲気を持つ。 「番茶も出花」の娘が店番しているのか?

レトロなタバコ屋さん

【北アルプス遠望】
水田の向こうの山並みに、白く輝く北アルプスが見える。

北アルプス遠望

撮った写真を拡大してみると、穂高連峰から槍ヶ岳にかけての山であることが判る。

北アルプス

【3基の石塔】
街道沿いの大きな石の上に、3つの石塔が立つ。

路傍の石塔

駒形神社と中山道古道

下塚原の集落を抜けると駒形神社である。 この駒形神社の先に、わずか100mほどだが古道が残っている。 気を付けていないと、その古道への入口は見落としてしまうが、Google Mapを拡大してみると、確かに細い道が書かれている。

【駒形神社】
この近辺は、信濃の国の最大の牧場だったそうだ。
社殿は国の重要文化財に指定されているが、そうは見えなかった。

中山道古道

【中山道古道】
駒形神社の先、ガードレールが切れるところを右に下る。
道というより、単なる踏み跡を雑草かき分けて進む。

naka23-17

空家のような民家横を過ぎると道らしくなり、やがて元の道に合流する。
下の写真は、合流点で古道を振り返って撮ったものである。

中山道古道

塩名田宿

次の八幡宿まで距離は短いが、途中に千曲川があるため宿場が設置された。 普段は宿泊客は少ないが、千曲川が増水して川留めになると何日も滞在となる為、小さな宿場にかかわらず本陣が2軒もあった。

【塩名田宿入口】
塩名田交差点角に、塩名田宿碑と道祖神が立つ。 江戸方の宿場入口である。

塩名田宿入口

【昔の屋号を掲げる】
街道沿いの民家は、昔の屋号を掲げている。 旅籠だったのだろう。

塩名田宿

【本陣跡・問屋跡】
1756年に再建された丸山新左衛門家。
少し手前の大井屋食料品店にも、「本陣丸山善兵衛」の看板が下がっていた。

塩名田宿本陣跡・問屋跡

【塩名田の街並み】
街道に対して斜めに立つ家が多い。 防衛のためとか、何か意味があるのか?

塩名田宿

【えび屋豆腐店】
歪んだ景色を映すガラス戸に、「とうふ 油あげ」の文字もかすれている。
11時頃だったが、「油揚げ売切れです」と書かれた札が下がっていた。

えび屋豆腐店

千曲川

やがて街道は千曲川にぶつかる。 今は中津橋という立派な橋が架かっているが、昔は千曲川が氾濫する度に橋は流されたそうだ。 現在は川の治水も進んだが、往時は自然のままの川だろうから、少しの雨でも増水する暴れ川だったのだろう。

【中津橋】
家並みの向こうに赤い中津橋が架かる。

中津橋

【千曲川に下る】
中津橋の手前で街道は右に分岐し、千曲川の河原に向かって坂を下る。

お滝通りへ

【休茶屋角屋】
坂を下ると木造3階建の「休茶屋角屋」がある。
手前には清水が湧き出る欅の大木があったが、現在は根だけが残る。

休茶屋角屋

【お滝通り】
3階建ての旅籠風家屋が残り、静かで昔を偲ばせる雰囲気を残している。
突き当りが千曲川で、往時はここから川を渡っていた。

お滝通りへ

【舟つなぎ石】
橋を架けては流されたので、明治6年に9艘の舟をつないだ舟橋を架けた。
その際 舟を繋ぐために「舟つなぎ石」が使われ、上部に穴が開いている。
明治25年に木橋が架けられるまで、この舟橋は使われていた。

舟繋ぎ石

千曲川の河原を少し歩き、中津橋の下をくぐってUターンするように坂を登ると、先ほど分岐してお滝通りの方に下った道の反対側に出る。

中津橋を渡って千曲川を超えるが、昔のように舟をつないだ橋を観光用に復活してくれれば、有料でも渡ってみたいと思うのは私だけか?


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