虎の門

大手門
赤坂門の所で途切れた外堀は、この先かなりの区間を埋め立てられ、次に姿を見せるのは東京駅の先の呉服橋である。

赤坂から虎の門に向けての外堀通は、大きな溜池を埋め立てて造られ、現在は赤坂と虎ノ門の間に「溜池」という交差点名が残る。 したがって、江戸時代には現在の外堀通りの部分に道はなく、赤坂の一ツ木通り側に入った2本目の道が往時の道である。 途中で六本木通りを横切り、榎坂からアメリカ大使館前に出て、日本たばこの前で外堀通りに戻るルートが往時の道のようである。

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日枝神社に寄り道

赤坂見附から溜池に向け、外堀通りの左側高台に日枝神社がある。 明治の頃まで「山王権現」と呼ばれ、現在でも「山王下」や「溜池山王」という地名・駅名に「山王」という名が残る。 毎年6月に行われる「山王祭」は、神田祭や深川八幡祭と並ぶ江戸の3大祭りに数えられている。

日枝神社参道

外堀通り沿いに広い階段やエスカレータが設置され、これが表参道のように見える。 しかし当時は堀を渡る橋は無かったので、永田町側の階段が参道である。「山王男坂」と呼ばれる参道の階段は52段。 左には緩やかな女坂もある。

日枝神社

神 門

階段を登ると「神門」が待ち受ける。 いわゆる山門で、奥に本殿が見えている。

日枝神社

外堀脇の旧道を歩く

山王下交差点で外堀通りを渡り、赤坂の繁華街へと入る。 外堀通りから2本目の道(赤坂郵便局の先)を左に曲がる。 この道が昔の溜池沿いの道であった。

昔は料亭が多かった

私は昭和47年(1972)に、アメリカ大使館近くの会社で社会人スタートした。 当時この道沿いは料亭街で、夜になると黒塗りの車が並ぶ、私には縁のない世界であった。 残念ながら、現在は殆んどビルとなってしまった。

外堀沿いの旧道

榎坂とアメリカ大使館

旧道を進み六本木通りを横切り、榎坂を緩やかに上る。 右手がアメリカ大使館で、正面は共同通信。 左に自転車会館があったが、再開発で取り壊されている。

榎坂

外堀通りに向かう

アメリカ大使館前で左折して外堀通り向かう。 江戸時代には、現在の虎の門交差点から赤坂にかけて広大な溜池があり、特許庁などはこの溜池を埋め立てた上に建てられている。 この近くの会社に30年以上勤め、慣れ親しんだ場所である。

共同通信前

新虎通り

JTビルの前に来ると、2014年3月末に開通した「新虎通り」である。 正面に「虎の門ヒルズ」が聳え立ち、2020年の東京オリンピックまでには、会場となる有明まで通じるようだ。

新虎通り

虎の門 金刀比羅宮

虎の門交差点のすぐ近くに金刀比羅宮がある。 ここには讃岐国丸亀藩の藩邸があり、地元丸亀にある金刀比羅宮より勧請した。 当時は伊勢参りや金刀比羅参りが大流行していたが、本宮まで行けない江戸の庶民たちの為に、毎月10日に藩邸を一般開放したそうである。

金刀比羅宮

ビルに囲まれた金刀比羅宮。 毎年正月から月10日までの間、福銭開運のお守りが配られる。 縁起物なので何回か頂いたが、残念ながら宝くじは当たらなかった。

虎の門金毘羅様

百度石

境内には百度石が立つ。 お百度参りする人は、一体何を願ったのだろうか? その他、玄武や朱雀などがあしらわれた銅製の鳥居が立っている。

虎の門金毘羅様

外堀の石垣が顔をのぞかせる

JTビルの前で外堀通りに出て右に進むと、商船三井ビルである。 このビルと霞が関ビルを結ぶ陸橋の下に、外堀の石垣が顔をのぞかせている。

残された石垣

陸橋下に外堀があったことを示す石垣が顔をのぞかせている。 説明板によると、この石垣は寛永13年(1636)に因幡鳥取藩主池田光仲によって構築された櫓台の一部だそうだ。 ということは、この虎の門には隅櫓が建っていたいたのだろう。

外堀の石垣

この石垣を眺めながら通勤していたが、外堀通りと昔の溜池の位置関係を知らなかった。 外堀通りが堀だったと思い込んでいたので、何も考えもせず「何故この石垣が堀の外側にあるのか?」と、馬鹿みたいな疑問を持っていた。

外堀の石垣

文部科学省の石垣

地下鉄銀座線・虎ノ門駅で11番出口に向かうと、石垣展示室がある。 2008年に文部科学省の新庁舎落成に合わせて、敷地内の外堀跡石垣が公開された。

外堀の石垣

虎の門

虎の門交差点には、虎の門があったことを示す碑が立っている。 平日はサラリーマンが多く行きかう場所であるが、碑の前で足を止める人は少ない。

虎の門跡の碑

虎の門の名にふさわしく、碑の上には虎が置かれている。 枡形は警視庁の方向に延びる桜田通りにあったようだが、枡形を思い起こすような遺構は無い。

虎の門跡

江戸切絵図で見る

商船三井ビルの前に残る石垣の説明版を、写真に撮ってきてじっくりと眺めてみた。 その結果、初めて江戸時代の外堀と、現在の外堀通りの位置関係を理解することができた。

外堀と現在の地図を重ね合わせる

下の地図の左下が、現在の商船三井ビル前に残された石垣である。 外堀通りが石垣の突端部を少し残して通されている。 ということは、商船三井ビルは堀を埋め立てた上に立っていることになる。

斜めに3ヵ所並んだ石垣跡の中央部が、文部科学省で公開された石垣部分である。 他の2か所は、文部科学省中庭と旧教育会館前に見ることができる。

虎の門地図

江戸切絵図

江戸切絵図を見ると、霞が関ビル辺りから溜池が広がり、特許庁や、その向かいの日本財団のビルあたりも溜池だったようである。

江戸切絵図

虎の門のドンドン

江戸城の西の入口である虎ノ門は、明治6年に撤去され、維新直後に最初に変貌した場所のようである。 撤去前の様子が下の写真である(ネット上より借用)。

江戸城虎ノ門
写真を見ると門の前に堰があり、ここを越えて落ちる水音が大きくて「赤坂のドンドン」と呼ばれていた。 明治8年頃から溜池の埋め立てが始まり、明治15年に「赤坂のドンドン」の堰の落とし口を広げると急速に水は減少し、湿地帯に細々と川が流れる程度になったそうである。


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