18宿 軽井沢宿

信州・茂田井

旅行日:2015年11月6日

紅葉の碓氷峠を登り終え、峠の茶屋で一休みした後に軽井沢目指して歩きを再開する。

軽井沢は、沓掛、追分と共に「浅間三宿」と呼ばれ、元禄期には大いに繁盛した。 しかし天明3年(1783)の浅間山大爆発で大きな被害を受け、その後噴火や冷害、火災などで宿場は衰退したそうだ。 そして明治後半になり、英国人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショウにより、避暑地に適していると紹介され、観光地や別荘地として新たに生まれ変わった。

日 付 区 間 里程表 実距離 万歩計 ルート
2015年
11月6日
坂本宿~碓氷峠 2里34町 11.6Km 9.4KM 30,370歩 Map
碓氷峠~軽井沢宿
軽井沢宿~沓掛宿 1里5町 4.5Km 5.1km
合 計 4里3町 16.1Km 14.5Km
日本橋からの累計
(累計日数 : 13日目)
38里19町 151.3Km 159.4Km 255,083歩

里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。

ルートラボルートを見る → “のんびり中山道”で検索)


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県境に跨る熊野神社

碓氷峠の上には、安政遠足のゴールである熊野神社がある。 この神社は、群馬県と長野県の県境を跨ぐように建てられている。 また神社前は中央分水嶺であり、降った雨は日本海側と太平洋側に分かれる場所でもある。

【熊野神社】
長い階段を上がり、熊野神社に参詣する。

熊野神社

【県 境】
階段を上がると、参道に県境を示すプレートが埋め込まれていた。

熊野神社熊野神社

【二つの賽銭箱】
県境を挟んで、長野用と群馬用に賽銭箱が二つ置かれている。

熊野神社

旧道にこだわる

ネットで軽井沢近辺を調べていたら、熊野神社から軽井沢に向けて旧道があることが判明した。 あまり歩かれていないのか、案内板もない山の斜面の踏み跡をたどるようである。 同行の女性に聞くと、そんな道は知らないとのこと。 しかし一緒に行くというし、距離もさほど長くはないので、何とかなるだろうと足を踏み入れる。

【山に分け入る】
碓氷山荘の先、左にある駐車場のフェンス横が旧道の入口である。
初老の男女二人が道なき道に踏み込む姿は怪しげで、無理心中かと疑われる。

中山道古道

【一度舗装道路に出る】
駐車場脇から下ると窪地をの中を進み、すぐに舗装道路に出る。

中山道古道

【殆ど感で進む】
道路を少し左に進み、ガードレールの切れ目から、再び山の斜面に踏み込む。
落ち葉に埋もれた踏み跡らしき跡を探しながら進む。

中山道古道

【砂利道に出た】
山の中を進み、いくつかの細い沢を超えると砂利道に出た。
ネット上にも「砂利道に出る」と書かれていたので、間違いではなさそうだ。

紅葉の別荘地

【旧道の歩き方】
熊野神社先からの、旧中山道と言われるルートを簡単に紹介しておく。 ただしこれが正しいかというと、まったく自信はない。

1) 碓井山荘先の駐車場横のフェンスに沿って山中を下る

・最初は急傾斜だが、やがて普通の山道のようになる
・50mほどで舗装道路に出る

2) 道路を横切り少し左に進み、ガードレール切れ目から再び山の斜面に入り込む

・斜面下方にあるポンプ小屋のような所を目指して斜面を下る
・左右から細い沢が合流する辺りに軽井沢とかかれた小さな標識があった
・この合流点で沢筋を跨いで、沢の右手に移る
・右斜面からの小さな沢を横切るが、深くえぐれているので補助ロープがある
・このような沢を3カ所ほど渡ると、砂利道に出る

【静かな山道】
見事な紅葉と静かな山道をのんびり進む。

紅葉の別荘地

【道を間違えた!】
紅葉に見とれていて、山の斜面に入る中山道の標識を見落とした。
この中山道の標識から右手の山の斜面を上がり、県道133号に出るのが正しい道である。 しかし予定にない橋が現れ、間違いに気付いた。

紅葉の別荘地

軽井沢宿

山の斜面を上って県道に出る道を見落としたことに気付いたが、戻らずにそのまま道なりに進んだ。 残念ながら旧道から外れてしまったが、途中で県道と合流して再び中山道に戻った。 やがて矢ヶ崎川に架かる「二手橋」を渡り、軽井沢の街中に入っていく。

【ショー記念礼拝堂】
明治19年に日本に派遣された、宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーは、軽井沢の魅力を広く紹介し、現在の避暑地としての軽井沢の基礎を築いた。

ショー記念館

【旧軽銀座の賑わい】
軽井沢宿の面影は全くなく、多くの店が連なり、観光客が賑やかに歩く。
本陣跡などを探す気もなく、足早に通り過ぎる。

軽井沢宿

少しだけ中山道の雰囲気を出しているところをパチリ!

軽井沢宿

旧軽銀座と三笠通りの交差点は、江戸時代には京方の枡形であった。 賑やかな旧軽銀座もここで終り、静かな離山通りを進み沓掛宿を目指す。


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