浅草橋門

大手門
JR総武線の浅草橋駅は、人形の街とか繊維・衣料品の問屋街で知られている。 この駅から南に少し歩くと、神田川に架かる浅草橋がある。 この橋を渡った所に浅草橋門があった。 現在は全くその面影はなく、橋の手前に浅草見附跡の石碑が建つのみである。

この浅草橋門は奥州街道や日光街道に繋がる門で、江戸の北方防衛の要であったという。 またここを利用するのは武士や庶民であり、将軍が上野寛永寺へ向かう際には、隣に位置する筋違橋門であった。

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浅草見附跡

浅草見附跡

浅草橋北詰、右側歩道脇に立つ石碑。 実際の浅草橋門は、橋を渡った先の江戸通り上にあったようだ。 北関東・東北地方への要路を抑える役割を持つが、浅草寺や吉原方面への往来が盛んであった。

明暦大火の際、小伝馬町牢獄の囚人を解き放ち、この囚人たちが浅草橋門へ殺到した。 見附の番人は脱走と勘違いし門を閉じてしまい、その為一般市民も含めて2万人近い死者を出したそうである。

浅草見附跡

【 明暦大火とは 】
明暦3年1月18日(1657年3月2日)から1月21日(3月4日)の3日間にかけ、本郷、小石川、麹町の3か所から次々と出火し、江戸市街の約6割を焼き払った大火事。 江戸城天守閣もこの時に焼失し、以降再建されることはなかった。

この火事をきっかけに江戸の都市改造が行われ、防火線として設置された広小路は、現在も上野広小路として地名が残っている。

江戸城三十六見附巡りは、この浅草橋門から出発である。 神田川 つまり外堀沿いに反時計回りに歩く予定である。 外堀を巡り終えれば、次は内堀を同じように反時計回りに歩き、最後は江戸城天守閣である。

東京で生まれ育ち、大阪に転勤した2年間を除いた35年近くを都心に勤めていたが、おそらく今回の歩き旅を通じて、東京の新たな発見が数多く出てくることであろう。


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